元ザ・ハンダースの鈴木寿永吉(すえきち=61)が、舞台「『誓い』奇跡のシンガー2019」(12月3~5日、東京・スクエア荏原ひらつかホール)で福島市長役を演じる。

10代でデビューした、ものまねの人気者も還暦をすぎた。過去から今を聞いた。

  ◇  ◇  ◇

「『誓い』奇跡のシンガー2019」は、11年3月11日の東日本大震災で母親を亡くした車椅子の歌手の物語。元宝塚娘役の女優玲実くれあと俳優坂本三成のダブル主演。鈴木は、玲実演じる主人公の母親に学生時代にラブレターを送ったことから関わりを持つ。

「自分の役どころは福島市長で人気者なんですが、スケベで、お調子者。でも真面目で、演説シーンもあります」。

テレビのものまね番組で活躍した鈴木だが、今は舞台に夢中だ。

「映像のいいところもあるけど、舞台って生ものなんですよ。毎回違う。空気が違うし、同じセリフ、同じ間を、自分が持ってやっていても、相手の間も変わるし、お客さまも毎日違うので、反応が違うんです。例えば、セリフが飛ぼうが抜けようが、ストーリーが進んでいく。その時に、セリフが飛んだときに、周りがどうフォローし合うか、その緊張感が僕は好きなんです。僕は年間、舞台を5本か6本やらせていただいている。2カ月に1度での舞台のオファーがあるので、とりこになっている。緊張感がたまらないですね」。

74年にTBSの夕方の人気帯バラエティー「ぎんざNOW!」の「素人コメディアン道場」で5週連続で勝ち抜いて優勝。初代の関根勤に次ぐ鈴木末吉少年の優勝、16歳のチャンピオンだった。

「勝ち抜いて1年くらい、1人でやっていたの。司会のせんだ(みつお)さんの後ろで、アシスタントのレギュラーみたいになった。後にハンダースで一緒になる清水アキラさんが5週目の時に、僕が1週目で勝っちゃったんですよ。たまたま。そのまま勝っちゃって、アキラさんは、またチャレンジ。僕は、そのまま勝ち抜いて先に2代目」。

75年に結成されるザ・ハンダースのメンバーになる若者が、次々に優勝していった。

「3代目がアキラさん。4代目がアパッチけんさん。5代目が狂乱ものまねスターズっていう2人組の女の子がいたんですよ。女子高校生が。6代目が、花より団子っていう、当時は大阪の中学生。大阪から新幹線に乗って通っていました。今は桂雀々っていうはなし家になってます。7代目がアゴ勇さんで、8代目が桜金造さん」。

鈴木に清水、アパッチ、アゴに金造…6人=半ダース、ハンダースには1人足りない。最年長だった小林まさひろだ。

「そうこうしているうちに、ナベプロ(渡辺プロダクション)の方がスカウトしてくださった。小林さんは3週目で落ちたんですけど、毎週のように(会場の)銀座テレサに遊びに来ていたんです。当時のプロデューサーの青柳(脩)さんが『小林君もメンバーに入れてやれ』っていう話になった。で、6人いたので、番組で名前を募集したんです。その時までは『素人コメディアン道場花の6人衆』っていう長い名前でした。番組で募集した時に6人だからハンダース。12の半分だから半ダースって付けていただいたんですよ。最初から入れると46年目ですね」。

78年に発売した「ハンダースの想い出の渚」が、有線から火が付いて30万枚声のヒット曲になった。ザ・ワイルドワンズのヒット曲を、森進一→左卜全→ポパイ→和田アキ子→清水健太郎→高見山→越路吹雪と次々にものまねで歌っていく。

「『想い出の渚』はアキラさんだけが歌ってるんですよ。当時は、みんなものまねができるんで、交代でやろうかと思ったけど、それよりレパートリーの多いアキラでとなった。うちらは黒子になって、森田健作をやるんなら剣道着で、ポパイをやるならパイプを渡すとか。そういう映像を作っていった。新しいものまねの走りと言えば走りでしたね」。

素人からテレビ番組に参加して人気者へ。新しい形のスターだった。

(続く)

◆鈴木寿永吉(すずき・すえきち)1958年(昭33)7月3日、横浜市生まれ。本名鈴木末吉。74年TBS「ぎんざNOW!」の「素人コメディアン道場」の2代目王者に。75年ザ・ハンダース結成。78年「ハンダースの想い出の渚」が30万枚超のヒットに。80年解散。その後はものまね番組で、アントニオ猪木のまねなどで活躍。現在は東京・六本木でカラオケ笑パブ「ミリオン」を経営しながら、舞台などで活躍。