6月から体調不良で休演が続いていた漫才師、宮川花子(65)が11日、大阪市内で会見し、多発性骨髄腫で闘病中であることを明かした。奈良県内の病院で入院加療を続けながらも、本格的なリハビリに入っている近況も報告した。

(以下、一問一答)

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-5カ月間治療をしなかった期間の心の動きは

自分でも動転してたので、本当は説明してくださってたんですけど、これから治療が始まるのに、こういう副作用とかいろんなものが出てくると。例えば私はB型肝炎のキャリアがあったので、「この薬飲んでください、今日からです」って言われて、「え?」ってなった。周りでたくさんの方がガンになって、抗がん剤で治療やってるときに、薬が手から落ちたとか、薬が飲めなくってとか、いろんな人のマイナスなことしか入らなかった。自分も治療行くってなったとき「髪抜けるんやろな。弟子とかみんな呼んで断髪式しよう」とかいろいろと考えてた。みんなにも言ってなかったんで、仕事に行けるところは行ってた。4月から車いすにだんだんなってきて、車いすで行けるところは公演とかさせてもらってた。最初、演台では立って、終わってから車いすに乗ってたんですけど、途中で立ってたときに足しびれるわで、「すいません、車いすに座らせてください」ってなった。新幹線で乗り降りのときに、車いすに乗ろうと思ったら落ちかけて「あれ?」って。だんだん今度は右がしびれて、かなめの左もしびれてきて最終的には両方。病院に行ったときには褥瘡(じょくそう)になってた。病院で治療してハサミで皮膚を切った。ジョキジョキって音は聞こえるけど、痛みはなかった。

-治らないとかは

そんなになってるって全然分かってなかった。レントゲンを撮って「ここにこんな腫瘍があります」ってなったのは後ほどなんです。病院に入ったときも、自分がどこに腫瘍があってとかはまったく分からなかった。腫瘍やと思ってなかった。あるときに先生と家族がレントゲンを見て「うわ、消えてきてるわ」って。だんだんそうなってきて、整形の先生が首がまわらへんかったところを「骨が溶けてたから」って。これが分かったのが1カ月ちょっと前。最初に「こんなんです」って言われてたら、逆に治療するより諦めてたかも分からへん。この状態やったらあかんやんと。(報道陣に配られたファイルに書かれた多発性骨髄腫の)絵を、自分で自分の病気はどんなんやったんやろうって書いたんです。ここに(病気が)あってんなと。手が鉛筆を持てないんで、震えてるような絵ですけど。(骨が)折れてたんがこことか。