作詞作曲家で歌手の中村泰士(81)が12日、大阪市内のライブハウスで、無観客の生配信ライブを行い、あこがれの作曲家服部良一さんの長男で、11日に83歳で亡くなった服部克久さんについてしのんだ。

“和製ポップスの父”とも言うべ偉大な父を持った克久さんは、編曲家として大成。これに中村は「かっちゃん(克久さん)は『俺はメロディーは書けない』と言っていた。あの父を持てば…書けるとは言えないよ。でも、だから、アレンジャーとして成熟していくしか道がなかったんだと思う」と思いやった。

偉大な父を持つ苦悩、そしてそれを克服した強さに感服。中村は「おやじから受け継いだ音楽性を生かして、日本で歌謡曲をフルオーケストラでするアレンジャーって、そんなにいない」と振り返った。

克久さんは編曲家でありつつも「先生の息子やし、歌謡曲が分かっていた」とも。さらに「今のアレンジャーはただの伴奏屋に近い存在になっている」と、克久さんの日本ポップス史における功績をたたえた。

克久さんは、中村が良一さんにあこがれていたことを知っており、親交も深かったという。それでも最近は会うこともなく、最後に会ったのは「10年ほど前のどこかの音楽祭」だそう。それゆえ、克久さんの死去を「肌身に感じる。つらい」と言いつつも「でも、僕の気持ちの中ではまだ亡くなってない」と話すなど、複雑な思いを吐露した。

服部さん親子が残した和製ポップスの成熟という財産。歌謡曲の魅力を大阪から再び爆発させようと、大阪観光局のアンバサダーも務めている中村は、この日は、新型コロナウイルスの流行以来、厳しい状況が続く、ライブハウスから無料で生配信を行った。

場所は大阪市天王寺区の「TAKARA OSAKA」で、自身が手がけた代表曲のひとつ「喝采」の初のギター弾き語りも披露した。「ギターを始めて、手を動かす。テクニックも考えるから(運動になって)体調もいい」。2時間ウオーキングする日もあるといい、健康を維持している。

次回は有料配信とし、同所に50人ほど客を入れる予定。感染の拡大で、配信のスタイルが定着しそうな現況には「僕は逆にいいことやと思う」と独自の理論を展開した。

「ステージに立つ人、見る人はそもそもきっちり分かれているべき。手の届くアイドルというのがはやっても、それは一時的なもの。客がいると、歌いながらこびることもある。そういうのはいらない」。新しい生活様式がもたらす「利点」も口にしていた。