JR代々木駅にほど近いスタジオで、元モーニング娘。の福田明日香に話を聞いた。コロナ禍の中だけに、久々の対面取材だ。本人取材といっても、スタイリストにメークアップアーティスト、カメラマンには助手がおり、それに事務所関係者や出版関係者が加わる。それほど広くないスタジオはまさに三密になってしまう。それでも、換気を心掛けた上で、サーキュレーターで空気を循環させ、スタジオに入る時はアルコール消毒を徹底するなど、コロナ以前とは違った様相だ。

もちろん、取材の際もソーシャルディスタンスを保ったことは言うまでもない。

取材現場から離れて十数年がたつが、当時、モーニング娘。の取材は複数回経験した。もちろんコンサートの原稿も書いている。乃木坂46はもちろん、AKB48も誕生前のころだ。会場の代々木第一体育館は満員で、ほとんどが若い男性ファン。きっと新陳代謝が激しいのだろう。観客席では大歓声と汗が飛び散り、独特の匂いが充満していたことを記憶している。

そんなファンの羨望(せんぼう)の先のステージに立っていた福田が写真集で脱ぐことになった。しかもヘアヌードだ。以前からヌード写真集のオファーがあったと話す当人は「巨乳だったら考えるけど、やるとしたら豊胸手術を受けないといけないから、赤字になってしまう」と、断っていたという。

そんな福田がなぜ脱ぐ決断を下したのか。

今回の写真集を仕掛けたのは数々のヘアヌード写真集を仕掛けてきた高須基仁氏の長男の基一朗氏。父親は、美女を、昭和の匂いが残る退廃的な建築物の中で撮影し、耽美(たんび)的な表情を出させるのが好きだった。息子もそんな作風を受け継いだのかもしれない。なまめかしい世界観で撮りたいという提案が、福田の心をわしづかみにしたようだ。

福田は東京の下町にあった花街の近くで育った。祖父母は飲食店を営み、花柳界で働く女性が身近にいたという。幼少のころは、そんな環境で育ったことにコンプレックスを持っていたといい、そんな思いを解放させたのが、映画やミュージカルだった。

インタビューの中で、福田はこんな言葉を残した。

「私は映画『コヨーテ・アグリー』という作品が大好きなんです。歌手を目指す主人公が過激なバーで働き、夢を追い掛けるお話です。クリスティーナ・アギレラの『バーレスク』も好きだし、もっといえば、エディット・ピアフの伝記映画を見て心を奪われました。真面目な人にとっては、彼女らは後ろ指をさされるような仕事をしているのかもしれないけど、苦労しながらも夢を追い掛ける、その艶っぽさというか美しさに憧れていたんです」。

日本の芸能界の歴史をひもとけば、夜の街とは切っても切り離せない。福田のレゾンデートルもまさに、そんな花街の風景に影響されていたのかなと思う。

写真集は128ページと、最近では珍しく厚い。表紙も豪華版で、値段も3800円(税別)と高価だ。それでも、予約が殺到したこともあり、刷り部数は10万部を超えている。いろんな声はあるだろうが、ビジネスとしては成功した。