放送作家高田文夫氏(72)が4日、ニッポン放送「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」(月~金曜午前11時30分)の生放送に出演して、10月28日に移住先の沖縄で肺がんで亡くなっていた事が明らかになった元フジテレビディレクターの佐藤義和さん(享年72)をしのんだ。

高田氏は「サトちゃん、死んじゃった。まだ若くて、オレも駆け出しで一緒に『ひょうきん族』とか作っていた。タモリさんがまねしてな」と振り返った。

そして「まだ、お金がない頃に、小学生だった子供たちを連れて、サトちゃんのカミさんの(千葉県)館山の実家にみんなで行った。うちの家族と(三遊亭)小遊三の家族で一緒に行って、海で遊んでいた」。

「『ヨットに乗りな』って言ってくれて、子供たちと遊んでくれたのが楽太郎、今の(三遊亭)円楽。子供たちも、『ヨットのお兄ちゃん、(日本テレビの)“笑点”見てます』なんてな(笑い)。楽ちゃんは青学出身でおしゃれだったから、友達とヨット持ってたんだよな」と話した。

「で、その夜に飲んでワーワー騒いでいたら、電話が鳴った。サトちゃんのカミさんが『小遊三さん電話よ』って出たら、警察からで家に泥棒が入っていた。小遊三が真っ青になって『うちに帰ります』ってな」と明かした。「サトちゃんは亡くなったけど、思い出がいっぱいあっていいね」と話した。

佐藤さんは、バラエティー番組のディレクター、プロデューサーとして活躍。「オレたちひょうきん族」(81~89年)では「ひょうきんディレクターズ」の一員として画面にも登場。髪の毛が薄かったことから“ゲーハー佐藤”と呼ばれていた。