プロゴルフのマスターズで松山英樹(29=LEXUS)が優勝した。日本男子初のメジャー制覇で、ゴルフファンのみならず、日本中が沸いた。まさに偉業である。

松山の恩師で、仙台市にある母校・東北福祉大ゴルフ部の阿部靖彦監督(58)もテレビ各局に登場し、感激のコメントを口にした。感無量の表情が印象的だった。私は阿部氏と一時期、とても親しくしていただけに、グッと来るものがあった。

私は83年に日刊スポーツ新聞社に入社後、すぐに仙台市にある東北支社に転勤となった。いまから約40年前である。当時の支社長が野球好きで、いろいろなチームと朝野球をして、それを記事にしていた。多くの人に東北地方に進出した日刊スポーツを知ってもらおうという意図があったのだが、やる以上は負けてはいられないと、本気モードだった。

当時、東北福祉大の硬式野球部は全国区に躍り出始めたころで、仙台6大学野球リーグは東北支社の大きな取材対象だった。秋田・大曲農高出身の阿部氏はその硬式野球部に所属していたのだ。失礼ながらレギュラーではなく、学生コーチ兼マネジャー的な存在だった。よく取材していた関係で、前述の朝野球をする時、東北福祉大の硬式野球場を借りることも多かった。そして日刊スポーツの助っ人として試合に出てくれたのが、阿部氏だった。

のちに米メジャーリーグで大活躍する佐々木主浩が86年に東北高から入学した。阿部氏が新入生だった佐々木を朝野球の審判として呼び出したこともあった。そんな付き合いから、阿部氏とは公私に親しくさせていただいた。

私はその後、東京本社に戻ったが、約20年後に再び東北総局長として仙台に赴任したのだ。すぐに東北福祉大に赴任のあいさつに行った。待っていてくれたのがゴルフ部監督になっていた阿部氏だった。懐かしい話をした。当時は池田勇太が在学しており、阿部氏にお願いして、池田をインタビューしたこともあった。

東北福祉大ゴルフ部は89年にサークルとしてゼロからスタートした。阿部は軟式野球部の監督と兼任することになった。ゴルフの技術指導の経験はもちろんなかったという。そして考え抜いた末に出した結論が「長年携わって来た野球で培った団体スポーツの知識・経験を、個人競技のゴルフに取り入れて、生かすこと」だった。ゴルフは個人の力だが、大学のゴルフ部はチームであり、学生スポーツである以上、団体競技として、団結を大事にしたいと考えた。そうして、東北福祉大ゴルフ部は全国制覇の常連となり、星野英正、谷原秀人、宮里優作、池田、そして松山と数々のプロゴルファーを輩出して行くのである。

東北福祉大ゴルフ部には、入部希望者を選考する、いわゆるセレクションはないという。毎年、さまざまな学生が入って来る。その1人1人と向き合い、個性を見極めることが、監督としてとても重要という。そうして松山英樹も生まれた。松山の快挙で取材が殺到しているだろうから、阿部氏に祝福の電話はまだしていない。当時のように愛称の「アベヤス」と呼んでも、きっと彼なら笑って対応してくれると思う。【笹森文彦】