結成25周年を迎えた、ワハハ本舗のお笑い音楽ユニット、ポカスカジャンが27~29日に、東京・下北沢「シアター711」でライブ「ミュージカル式 ヘルプ!ジョンとポールがやってくる」を上演する。合わせて28、29日に同所で新作ライブ「新ネタ100連発」も開催する。このほどメンバーの大久保ノブオ(54)とタマ伸也(52)が日刊スポーツの取材に応じ、25周年記念公演への意気込みを語った。

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96年に中山省吾(50)を入れた3人で結成されたポカスカジャン。バンドマンだった大久保がワハハ本舗の公演を偶然、見たことから入団を決意。誘い込んだのが大学時代のバンドサークルの1年下だったタマだった。

タマ 最初ね、ひと言で言うとだまされた。僕は僕で、バンドをやっていて。で、それまでドレッドヘアで、バンドコンテストとか大会に出たり、ライブハウスでも女子高生いっぱい集めていた先輩だったわけですよ。その人が、突然、ワハハ本舗? エッ、あの下ネタとかなんか、いつもチンポとか言ってる? あそこに先輩が! みたいな。で、そしたら周りのバンド仲間は「テレビ出たいだけだろ、裏切りもん」とか、なんかそういうムードだった。

大久保 芸能界に行きたいと思われてね。僕は、ワハハがロックだから行きたかったのに。なんか「急にあいつ、芸能人になりたがった」みたいな感じで見られた。

タマ 僕は、そんな中で、面白いんじゃねえかなと思って。1人で、浅草の花やしきでイベント、お笑いをやるって言うから、見に行ったんですよね。そうしたら、亀の着ぐるみを着て「トーゥッ!」って転がされて“亀ライダー”だって。転がされて亀だから甲羅を背中にして「立てない、立てない、起こして」とかやってるんですよ。僕にしたら、今まで散々ロックだ、なんだとか、日本語の本当の音楽は、みたいな事を、いろんな居酒屋でね、ライブの打ち上げで言ってた先輩がね。5年とか6年とか。その前振りがあるから亀ライダーの時に爆笑しちゃって(笑い)。頭割れるくらい笑いまして、その時は花束を終演後に持っていって「これからは、お笑いの道を頑張ってくれ。俺は俺でバンドの道を頑張る」っていう風に応援エールを送ったんですよね。

大久保 誰も見に来なかったんですよ、裏切り者で。で、いい後輩だなって思って、お花もらって。でも、省吾と2人で、僕もドラムで、省吾もギター弾けない。コミックバンドなんだけど、誰も弾けなくてどうしようってなった時にね。あれ…花束くれたということは、あいつが…。で、電話して「手伝ってくれないかな」と。

タマ 僕は僕で、自分のバンドをやりながら、手伝いでポカスカジャンを始めるんですよ。

大久保 そうです、手伝いです。

タマ で、俺は俺で「コミックバンド始めるのに、ギター弾けるやついねえんだ、不思議だな」とか。そんなこと思ったりして、手伝いながらやるんですけども。僕も、その時に26歳とか27歳で、自分のやってるバンドに限界を感じてて。で、自分がリーダーでやってたんですけど脱退ライブを企画しててね。手伝いでやってたけども、片足突っ込むよりは1回ちゃんとやってみようと思って。そんなタイミングあったんですね。手伝いをしながらの期間の中で。そしたら、その脱退ライブを決めた後に。その3日前に、あるお笑い番組のオーディションがあると。僕らはまだワハハ本舗に所属でもないし中ぶらりんの存在だけども、元気安という芸人が行けなくなったので代わりに行ってくれと。ポカスカジャン3人で。受かるわけないじゃないですか。できたばっかりでネタもないし。行ったら50組くらいのお笑い芸人が集まっている会場について、当時若手だったですけどネプチューンとかバナナマンとかみんながいて、オセロとか。で、受かっていくんですよ、ドンドン。で、結局、オーディションには僕ら勝てずに。そしたら敗者復活戦。審査員は通行人のおじさん、ガチンコで。バラの花を渡された人が勝ち抜けるという。(続く)

◆ポカスカジャン 1996年(平8)結成。大久保ノブオは67年(昭42)5月3日、長野市生まれ。ボーカル&バケツドラム、ハープ。タマ伸也は68年9月18日、青森市生まれ。ボーカル&ギター。19年6月2日に結成メンバーだった中山省吾(50)が脱退。