北海道・札幌テレビの人気者だった小出朗アナウンサー(35)が9月いっぱいで退社、フリー宣言して上京した。コロナ禍の今、なぜ決断したかを聞いてみた。

小出アナは1986年(昭61)9月22日、東京・目黒生まれ。都立新宿高校時代は野球部で正捕手として活躍。卒業後は明大政経学部に進んで、ブレイクダンスサークルで活躍した。10年に札幌テレビに入社して、バラエティー、ワイド番組のMCを務め、日本ハムファイターズの実況中継などで活躍した。

「大学3年になって就職活動する時に、本当はお笑い芸人になりたかったんです。しゃべくりの方でね。ただ、うちは父親がいないのに母親が大学まで行かせてくれて、浪人までしていたので怒られるかなと。ならば言葉を使うプロで、お金をもらえるアナウンサーを目指しました。元々、しゃべるのが得意でした。人前で話すのが得意なのは、高校時代までやっていた野球でキャッチャーやっていたからでしょうかね。1人だけ、他の選手たちに向かって、しゃべってましたから」。

札幌テレビには2社目の受験で合格した。入社12年目、北海道でアナウンサーとして安定した生活を送っていた。

「北海道に行く時は、骨をうずめるっていう気持ちもあったんですが、東京には母もいるし、仕事のある母に代わって育ててくれた祖父母もいる。あと東京で勝負したいという気持ちもありました。北海道ですごく楽しくて、地元の人たちから、本当にすごく良くしていただきました。でも、そういう夢はずっと持っていました。35歳だし、そういう時期なのかなと決断しました」

165センチと小柄に見えるが、日々の鍛錬で鍛え上げた体は筋肉モリモリ。しゃべりと体力を生かした番組を狙っている。

「札幌テレビは日本テレビ系だったので『スッキリ』のリポーターとかをやってみたいですね。あとは体当たりで激辛料理を食べるとか。体は、今も毎日20キロ走って、ベンチプレスを挙げて鍛えまくっています。TBS『炎の体育会TV』とかフジテレビの『芸能界特技王決定戦 TEPPEN』とかにもチャレンジしてみたいです」

北海道ではプロ野球の日本ハムの実況で、メジャーリーガーとなったダルビッシュ有(35)や大谷翔平(27)の活躍を届けた。

「ダルビッシュ投手は同い年で、僕が入社した頃に覚醒して、もう神様みたいでしたね。大谷選手は、とにかく練習するんですよ。取材までの待ち時間も長いんですけど、試合終わりでもしっかり練習する姿を見ているから、誰も文句は言いませんでした。斎藤佑樹投手には、引退が決まった時にLINEしたら『最後しっかり頑張ります』って返事をくれました」

憧れのアナウンサーは、同じ名前のフリーアナウンサー福澤朗(58)。

「福澤さんが『高校生クイズ』や『ズーム「イン!!朝!』でキレキレの司会をやっているのを見て育った世代です。名前も同じですね。一度、番組でご一緒したら『ありがとう』と言われて終わりました。ジャストミート!の掛け声をやってくれるかと思ったんですけどね(笑い)」

コロナ禍をぶっ飛ばす勢いでブレークを狙っている。【小谷野俊哉】

◆小出朗(こいで・あきら)1986年(昭61)9月22日、東京・目黒生まれ。都立新宿高、明大を経て、10年4月に札幌テレビ入社。生バラエティー「マハトマパンチ」、情報番組「どさんこワイド朝」などのMCを務め、今年9月いっぱいで退社。10月1日から生島企画室所属。165センチ、58キロ。