俳優、司会者として活躍した柳生博さん(本名同じ)が16日、老衰のため山梨・北杜市の自宅で亡くなった。85歳だった。オーナーを務める「八ヶ岳倶楽部」のフェイスブックで、次男の柳生宗助氏が21日、報告した。

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宗助氏は「悲しいお知らせをしなくてはいけません。僕の父であり、八ヶ岳倶楽部オーナーであり、日本野鳥の会名誉会長であり、俳優である、柳生博が4月16日に永眠しました。85歳、老衰でした。病院には入院せず、大好きな八ヶ岳の森に囲まれ、家族と倶楽部スタッフ、そして在宅医療の皆さまに見守られて、穏やかな最期でした。皆様には生前、本当にお世話になり、また大変親しくして頂き、誠にありがとうございました。心から感謝申し上げます」と報告した。

20日に家族葬を執り行ったといい、時期を改めて八ヶ岳倶楽部での「お別れの会」を開く方向で調整しているという。長男の真吾さんは15年に亡くなっていた。宗助氏は「真吾が愛したカタクリを眺めながら、最期の日々を過ごせたこと、幸せだったと思います。本当に皆さまにお世話になり、ありがとうございました。父は倶楽部の森をこれからも見守ってくれてると思います。八ヶ岳倶楽部は、いつも通り営業しております。また、ささやかですが、森の中に父をしのんで頂くためのスペースを設けました。ご希望がございましたら、スタッフにお尋ね下さいませ」とつづった。

「八ヶ岳倶楽部」によると、今年に入ってからも柳生さんは元気な様子で姿を見せていたという。

柳生さんは1937年(昭12)1月7日、茨城県生まれ。俳優として1961年に映画「あれが港の灯だ」でデビューし、「水戸黄門」や「太陽にほえろ」など数々のドラマに出演。81年からは「100万円クイズハンター」の司会を務め、「ハンターチャンス」のせりふで人気を集めた。19年には「やすらぎの刻~道」に出演。20年ぶりの連ドラ出演で話題になった。