1949年(昭24)の「かりそめの恋」、51年「東京悲歌」などで知られる、歌手の三條町子(さんじょう・まちこ)さん(本名藤田信子=ふじた・のぶこ)が30日午後5時5分、老衰のため神奈川県大和市内の自宅で亡くなった。97歳だった。一般社団法人日本歌手協会が31日、発表した。

葬儀・告別式は、9月3日に相模原市で家族葬として営まれる。喪主は長女の藤田敦子さん。

三條さんは1925年(大14)1月10日、青森県八戸市で生まれ、戦後、作曲家の大村能章さんの門下となり、48年に旧姓の本名・宮野信子の名前でキングレコードから「泪のブルース」でデビューした。翌年、芸名の三條町子で「かりそめの恋」をリリースすると、アンニュイな歌唱法が敗戦後の街に流れ大ヒット。歌詞の「夜の銀座は七色ネオン」が復興する日本を表現しており、流行語になった。

さらに、映画の主題歌にもなった「東京悲歌」で第2、4回NHK紅白歌合戦に出場。52年「私は銀座リル」や54年「恋の火の鳥」などのヒットを連発し、人気絶頂の中、レコード会社のディレクターと54年に結婚。翌55年に出産のため歌手を引退した。新曲として用意されていた「ここに幸あり」は、レコード会社の後輩・大津美子(84)が56年にリリースし、映画の主題歌にもなり大ヒットした。

三條さんは、昭和40年代に入り“なつメロブーム”が訪れると、音楽番組などに復活出演を果たし、変わらぬ歌声で後年までNHK「思い出のメロディー」「歌謡コンサート」などに出演。最後のテレビへの出演は、16年正月に放送された「第42回日本歌手協会歌謡祭」だった。

21年12月には、キングレコードから全曲集のCDアルバムが発売されたばかりで、9月7日にBSテレ東で放送の「プレイバック日本歌手協会歌謡祭」では「東京悲歌」が放送される。11月8、9日に開催される、第49回同歌謡祭では後輩歌手が「かりそめの恋」の歌唱を検討しているという。