日向坂46が4月1~2日、横浜スタジアムで、4周年記念ライブ「4回目のひな誕祭」を開催した。コロナ禍以降、観客の声出し解禁後初のグループ全体ライブ。東京ドーム公演が2度延期するなど苦しんだ時期もあったが、その間も勢いは衰えず“新しい夢”を見つけ続けた。蓄えた実力と、明るい未来を感じさせたライブだった。

2日間計7・4万人を動員した。ステージが見にくい条件付きの「ステージバック席」まで販売されるなど超満員となった。ライブ関係者も「めったに埋まらない」という横浜スタジアム両翼のウイング席まで、おひさま(ファンの総称)で満席にした。声出し解禁とあって、ファンの熱気も増していた。推しメンの名前を呼び、メロディーに合わせて大コール。メンバーの言葉にも歓声で応えた。

本編終盤の「誰よりも高く跳べ!」でキャプテン佐々木久美(27)が「全員、全力でいくぞ~!」と呼びかけた。間奏では何度も激しく手招きして、これでもかとファンをアオった。「おひさま~!! 跳べぇ~!!」と絶叫し、スタジアムを揺らした。けやき坂46(ひらがなけやき)時代の18年、東京・日本武道館ライブでも見せた持ち前の激しいアオりで、おひさまを魅了し続けた。

19年2月に改名、3月に「キュン」でシングルデビューし、同年12月に幕張メッセで行われたクリスマスライブで、改名前からのグループの目標である東京ドーム公演開催を発表した。「NHK紅白歌合戦」にも初出場。順調に夢をかなえていくように見えた。

だが、20年12月に開催予定だった東京ドーム公演はコロナ禍で1年延期に。無観客配信ライブが続いた。さらに21年12月も動員制限があったため再び延期。昨年3月に“三度目の正直”でようやく夢をかなえた。

悲願の東京ドームが2度も延期になったが、メンバーたちの心は折れなかった。1度目の延期が決まった後、最年長の佐々木久美は既に1年後を見据えていたし、バラエティー番組で積極的に存在感を残してグループの名前をより多くの視聴者に届けた。他のメンバーたちも個人仕事などで知名度を上げていったし、着実にグループの人気も伸びていった。

佐々木久美は「東京ドームはもちろん大事だけど、それだけを軸にしていなかった部分はあったので。そこが崩れたら全部が崩れる、みたいなモチベーションではなかったです」と話していた。けやき坂46時代には大きな夢だったが、グループの成長とともに現実として近づき、いつしか「通過点」となった。昨年3月の東京ドーム公演前後、メンバーたちは口々に「東京ドームは通過点」と確認し合っていた。意識共有が徹底されていた。

昨年12月にインタビューした金村美玖(20)の「まだまだ、ドームもいっぱいありますから」という言葉が印象的だ。今回の「4回目のひな誕祭」は初のスタジアムライブでもあったし、ドームツアーや海外公演など、ライブだけでもまだまだかなえていない夢がたくさんある。

大熱狂の横浜スタジアム公演を終えても、決して“燃え尽き”てはいない。コロナ禍でも強いメンタルで力を蓄え続けた日向坂46には、まだまだたくさんの夢に向かっていく勢いがある。【横山慧】