60年代には故横山ノックさんらと「漫画トリオ」として活躍し、後にテレビ司会者として関西を中心に絶大な人気を誇った元タレント、上岡龍太郎(本名・小林龍太郎)さんが5月19日、大阪府内の病院で、肺がんと間質性肺炎のため亡くなった。81歳だった。
引退後の窓口だった米朝事務所が発表した。
◆上岡龍太郎(かみおか・りゅうたろう)本名・小林龍太郎。1942年(昭17)3月20日、京都市生まれ。高校在学中、ロカビリーに感化され、卒業後は京都でバンドボーイなどを務める。達者なしゃべりを生かそうと、浜村淳、桂米朝らに師事しようとするが、60年、故横山ノックさんに誘われ、漫画トリオ入り。68年、ノックさんの参院選出馬でトリオは解散し、ソロ転向。「ノックは無用!」「花の新婚!カンピューター作戦」「ラブアタック!」や、「鶴瓶上岡パペポTV」「探偵!ナイトスクープ」のほか、在京キー局制作の「上岡龍太郎にはダマされないぞ!」など、多数の番組で司会を務める。20歳のころ、桂米朝に弟子入りしようとしたが、故桂枝雀さんを見て断念。後に立川談志の門下に入り、大ファンだった市川右太衛門から名前をもらい「立川歌右衛門」の名をもらう。引退した島田紳助さんに「ツッパリ漫才の紳助・竜介」を勧め、紳助さんに心酔されていた。