第105回全国高校野球選手権記念大会の決勝が23日、甲子園で行われ、慶応(神奈川)が、史上7校目の連覇を狙った仙台育英(宮城)を8-2で下し、1916年(大5)以来、107年ぶり2度目の優勝を果たした。芸能界、政界の慶応OBや関係者も大いに沸き、地元商店街も大盛り上がり。野球部OBで、学生コーチの経験もあるTBS井上貴博アナウンサー(39)もアルプス席から快挙を見届け、本紙の取材に喜びを語った。

井上アナは母校の優勝に、開口一番「ちょっと…言葉が出ませんね」と驚きを隠せなかった。同局系の夕方ニュース番組「Nスタ」でキャスターを務めるが、この日は「世界陸上」の中継のため、放送はなし。弾丸で現地に駆けつけ、アルプス席で応援。「こんな瞬間が人生で来るんだと。アルプス席だけでなく、内野も外野もバックネット席まで人が集まって、本当に揺れていました」。

前監督の上田誠氏(66)、学生コーチとして切磋琢磨(せっさたくま)し、現在同校で副部長を務める星野友則さんらと後輩たちを見守った。「恩師の上田さんたちと一緒に見ることができて本当にありがたいですし、うれしかったです」と心境を明かした。

連覇を目指した、仙台育英を「最強軍団」とした上で「大学生のようなチーム。相手へのリスペクトも忘れず、理想的なチームです。前半は本当に不気味でした。実力は完全に向こうの方が上ですからね」とたたえた。

井上アナは球児、学生コーチとして計7年間、同校野球部に青春をささげた。「今のチームは桁違いですね。僕がいたら何も教えることがないです。選手たちは本当に大人で監督のよう。試合中に監督を見る回数が極端に少ないんですよ」と分析した。

丸田湊斗外野手(3年)の夏の決勝では史上初となる先頭打者弾で試合は始まった。井上アナは「まさかですね。公式戦の1本目。こういうことが起きるんですね。『慶応のプリンス』と報道もされて、取り上げられることは良いことですけどメンタルにもかなり来ていたと思うんです」。

チームを引っ張った大村昊澄(そらと)主将(3年)にも「彼は『歴史を変える』と言い続け、自分たちでハードルをあげてきた。僕らの時代も『勉強しなさい』と常々言われていましたから、周りから相当何言っているんだと思われることもあったかもしれない。それでも107年の重みをひっくり返してくれて誇りに思います。弾ける笑顔でしたね」と語った。

続けて「ベンチを外れたメンバーや学生コーチたちのデータ班もスタメンの9人以上に頑張ったと思います。僕もコーチ時代にセンバツを経験しましたけど、甲子園に行くとすごく大変なんです。本当に寝ていないと思います。それがこの日のビックイニングにつながったと思います」。

清原和博氏(56)の次男の勝児内野手(2年)の代打起用には「全ての応援が何も聞こえなくなったんです。応援歌を演奏しようとも、唸りが勝った瞬間でした」と振り返った。「彼も注目される中で結果が出ず、苦しかったと思いますが、チームが分裂せずにきたのは彼の人柄と器の大きさ、そしてチームの良さだと思います。日本一も素晴らしいけど、それ以上に彼らは人格者だと思います」とねぎらった。

優勝が決まった瞬間、井上アナは恩師の上田氏と握手を交わしたという。「その瞬間はちょっと見ていられなかったというか…上田さんが作った伝統もありましたし、握手をして『おめでとう』と伝えられたのは巡り合わせだったのかなと思います」。

第2回大会以来、107年ぶりの優勝を飾った後輩たちに「重い扉を開けてくれてありがとう。挑戦を楽しみ、ここまで来られたメンタルに驚かされます。幸せでした。一生の宝です」と感謝。「アナウンサーとして出しゃばりすぎですね。僕よりも取材されるべき人がいらっしゃるのに…」と、107年の重みも実感していた。【加藤理沙】

◆井上貴博(いのうえ・たかひろ)1984年(昭59)8月7日、東京都生まれ。小学生から野球に打ち込み、慶応高時代は、50メートル5秒8と俊足の遊撃手でレギュラー。高3夏は県8強。学生コーチ時代の05年春に、センバツ出場経験があり、8強進出。慶大卒業後の07年にTBS入社。現在は「Nスタ」(水~金曜担当)、同局ラジオ「井上貴博 土曜日の『あ』」(土曜午後1時)など。趣味は高校野球観戦。

◆慶応 1858年(安政5)に創設された蘭学塾が前身の私立の男子校。高等学校は新制高校として1948年(昭23)に開設された。生徒数は2180人、野球部は1888年(明21)に創部で部員数は107人。甲子園出場は春10度、夏は19度目。主な卒業生は楽天津留崎大成、ソフトバンク柳町達、ヤクルト木沢尚文。所在地は神奈川県横浜市港北区日吉4の1の2。阿久沢武史校長。