「アホの坂田」で親しまれたお笑い芸人、坂田利夫さん(本名・地神利夫=じがみ・としお)が29日、老衰のため、大阪市内で亡くなった。吉本興業が30日、発表した。82歳だった。通夜、葬儀告別式は近く近親者のみでとりおこなう。

坂田さんは、前田五郎さんとのコンビ「コメディNO・1」で人気を博し、所属の吉本新喜劇やバラエティー番組などで愛されキャラで活躍した。

晩年も、間寛平らとイベントに出席し、コミカルなダンスを披露していた。近年は、1人暮らしだった坂田さんを寛平がたびたび見舞った様子をSNSなどにアップして、近況が報告されていたが、舞台などの出演は控えていた。

最後も寛平夫妻に見守られて息を引き取ったという。

「アホ~アホ~アホの坂田~」。キダ・タロー作曲で坂田さんの代名詞とも言うべきこの曲の歌詞とリズムは、多くの人の記憶に残っているだろう。小さな身体で大きな笑いを生み出し続けた坂田さんが、静かに息を引き取った。

大阪出身の坂田さんは64年、会社員からの転身で吉本新喜劇に入団した。67年に同じく劇団員だった前田五郎とお笑いコンビ「コメディNO・1」を結成。親交の深い同劇団の西川きよしの助言が、漫才転向へのキッカケとなった。

70年「第5回上方漫才大賞」や71年「NHK上方漫才コンテスト最優秀話術賞」などを受賞し活躍した。72年にコンビ名義でレコード「アホの坂田」を発売。坂田という名字を持つ人が「アホの坂田」と呼ばれる社会現象を巻き起こすほどのヒットを記録し、テレビ局などが放送を自粛するなどの騒動にもなったが、坂田さんの名とイメージが広く世間に知れ渡った。

02年には当時の衆議院議員だった鈴木宗男氏のものまねで再ブレイク。数々の疑惑が浮上して話題となっていた鈴木氏にそっくりな容姿で、マスコミへの露出も増えるようになった。逮捕などの後、05年に衆議院議員に復活した鈴木氏が坂田さんと共にタレント活動を行うなど、互いに良好な関係を築いていった。

コンビは09年に解散したが、その後も活動を続け、ドラマや映画、CMなどで幅広く活躍した。新喜劇では「アホ」と書かれた赤の衣装で「あ~よいとせのこらせのよいとせのこらせ~」や「あ~りが~とさ~ん」など、数多くのギャグや特有の歩き方で愛された。晩年、未婚を貫き、大の爬虫(はちゅう)類好きとしても知られた。

◆坂田利夫(さかた・としお)本名・地神利夫。1941年(昭16)10月7日、大阪市生まれ。64年吉本新喜劇に入団。67年に劇団員の前田五郎と「コメディNO・1」を結成し、70年「第5回上方漫才大賞」や71年「NHK上方漫才コンテスト最優秀話術賞」など数多くの賞を受賞。72年に発売されたレコード「アホの坂田」は社会現象を起こすほどのヒットを記録する。09年にコンビ解散。代表的なギャグは「あ~よいとせのこらせのよいとせのこらせ~」や「あ~りが~とさ~ん」など。