上方落語の伝統の落語会「島之内寄席」が11月8日に復活する。開業当時のことをよく知る桂福團治、月亭八方、桂雀三郎、笑福亭仁智らが落語と座談会を行う。
島之内寄席は1972年(昭47)、上方落語協会会長だった6代目笑福亭松鶴さんが戦後長らく、落語の定席がなかった上方落語の寄席として開場。島之内教会で月5日間の落語会を行い、上方落語の復活の象徴として大いににぎわった。
その後、場所を転々としながら「島之内寄席」の名前を守り続けてきたが、20年にコロナ禍の影響で休演。約5年半、開催されてこなかった。
島之内寄席を後世に継いでいくため、上方落語協会の笑福亭仁智会長が月亭遊方と桂米紫を委員長に指名し、再開を模索。さまざまな制約があり、島之内教会での開催はならなかったが、島之内の一角に当たる松竹芸能の本拠地、DAIHATSU心斎橋角座で毎月第3土曜に開催する形で復活が決まった。前座に若手が登場するものの、基本的には芸歴30年以上の噺家(はなしか)が出演する。
10月28日に行われた再開発表の会見には、当時を知る仁智や桂春若が出席した。
春若は「昭和47年2月21日が初日でございました。手帳を見ましたら『島之内4時集合』と書いてました。3時に行きましたら、教会の階段からずらーっとお客さんが並んではりましてビックリしました。5代目松鶴師匠のファンというご年配のお客さんもたくさんいらっしゃった」と初日の様子を振り返る。
落語10本と色物で入場料は440円。当時の協会員は50人強。5日間の公演に全員が出演したはずだという。
給料は「割」で支払われた。東京では普通だが、大阪では珍しかった。東京と違い真打ち制度がないため、ABCのランクに分け、Aは松鶴さんや桂米朝さんらで客1人当たり30円、Bは20円で笑福亭仁鶴さん、桂枝雀さんら、Cは春若や仁智らで10円だった。春若が「僕は4日目に出演して1980円でした。初日の人は2800円くらいあったはず。僕らだけです、2000円割ったの」と苦笑すると、仁智はうれしそうに「僕、2000円超えてました」と懐かしんだ。
遊方の師匠、月亭八方も当時の雰囲気を知る1人で、「怖かった。強烈やった」と話していたという。仁智も「松鶴師匠もお客さんも怖かった」と同意し、「若い落語家にも『待ってるで!頼むで』という感じやった」と高座から感じる客席の雰囲気を表現。春若が「ちゃんと古典落語やらないかんいう雰囲気がありました。ちょっとでも隙を見せたらまったく知らん顔される」と話すと、「僕なんか1番あかんタイプでした」と苦笑した。
公演後には客席で打ち上げが行われ、松鶴さんらベテランから「何であんなネタやった?」などとダメ出しがあった。仁智は橘ノ圓都さんから「『青菜』をやったら、わさびの溶き方を怒られました」と懐かしみながら、「そういう会がない時代やったんでね」と貴重な指導の場であったことも明かした。
笑福亭鶴瓶は開場1週間前に松鶴さんに弟子入りしたばかりで、来場者の下足番を命じられた。顔パスで入場しようとした記者と口論になり、かばってくれた師匠に感服したという逸話も有名だ。
仁智は「噺家みんなの思い出がある会。(天満天神)繁昌亭、(神戸新開地)喜楽館がお客さんでいっぱいになっても忘れてはいけない場所、上方落語協会員の原点と言っても過言ではない場所。協会挙げて島之内寄席を盛り上げていきたい」と意気込む。
島之内教会で行われていた時から50年以上がたった。押し寄せるインバウンドの波に街の景色はすっかり変わってしまったが、当時の落語を思い出させるような熱気を期待したい。【阪口孝志】



