14日に急性呼吸不全で亡くなった俳優三国連太郎さん(享年90)の長男で俳優佐藤浩市(52)が15日、都内で取材に応じ、三国さんへの思いを語った。かつて、母親と自身を置いて家を出たことも含め「(父親として)ひどいよ」と言い「僕と彼の間に介在したのは役者という言葉だけ」と明かした。一方「役者・三国連太郎」をまっとうして逝ったことには敬意を示した。

 佐藤は、ドラマの会見後に取材に応じた。時折、目をしばたたかせ遠くを見て、涙をこらえた。最後に対面したのは今月1日、佐藤がニューヨークに映画ロケに行く前、病院に寄った。「しっかりしていて言葉を交わすことができました。散歩に出て『寒い』とか、たわいのない話です」。最後の会話になった。

 三国さんは、14日朝に容体が急変、佐藤らの到着を待たずに息を引き取ってしまったため、最期をみとることはできなかった。しかし、「死に顔を見て、悲しいという思いはなかったです。この数年で一番凜(りん)とした顔に見えました。威厳があって、不思議な感慨になりました。涙は出ませんでした」と語った。

 三国さんとは「おまえ」「あなた」と呼び合っていたと明かした。父としての三国さんはどんな人だったかと聞かれると、「そりゃ、ひどいよ」と苦笑いした。「僕たちの間に介在していたのは、役者という言葉だけです」。

 三国さんは、佐藤の母親と1957年(昭32)に結婚。3度目の結婚だった。3年後に佐藤が生まれ、結婚生活は15年続いたが、三国さんが家を出たため、親子3人の生活は短かった。それだけに、佐藤は三国さんとの思い出を聞かれると、「この世界でやると告げたのが早稲田駅のホームで、三国は『そうか』とひと言言って電車に乗っていった。その場面です」と言った。生前のインタビューで、三国さんはその時のことを「おやりになるなら、親子の縁を切りましょうと言いました。俳優という仕事に関して何かの支えになる自信がなかったのです」と話している。どちらが真実にせよ、特殊な父子関係だったことが分かる。

 確執もあったが、映画「美味しんぼ」やCMでも共演し、互いを認め合っていた。三国さんは「親の欲目もありますが、センスは悪くないのではないかと思います。自己満足が俳優にとって最も危険。受け取ったトロフィーも自分の部屋に飾らないようにと伝えています」などと話していた。そして佐藤はこの日、「本当に役者として生きたんだなと思いました。孤高さを守り、芝居にかかわってきた。おやじの顔を見た時、そのことを感じました」と言い、父を思いやった。

 ◆三国連太郎(みくに・れんたろう)本名・佐藤政雄。1923年(大12)1月20日、群馬県生まれ。50年、松竹大船撮影所に研究生として入所。51年「善魔」で俳優デビュー。同作で演じた役名を芸名に。同作でブルーリボン賞新人賞。60年「大いなる旅路」で同主演男優賞。79年「復讐するは我にあり」では同助演男優賞。87年に公開され、脚本、監督、出演を務めた「親鸞・白い道」がカンヌ国際映画祭審査員特別賞。映画出演作は180本を超える。93年旭日小綬章受章。身長181センチ。