東京・築地の町中華の名店が今月27日で40年の歴史に一旦ピリオドを打つ。

築地やよい軒-シャキシャキの野沢菜と豚肉を辛めに炒めて極太の特製麺の上にドカンと乗せる「やよい麺」が看板だ。何度も雑誌やテレビ番組の取材申請があったが一切受けたことはない。村田健治店主(75)は「宣伝なんか必要ない。熱心に通ってくれるお客さんだけでいい。今回は最後の記録としてお話します」と静かに語った。

村田さんは20歳で有楽町の中華料理店で料理人として4年修業。その後、親戚の寿し店で働いているときに、その寿し店の常連の飲食店経営者に「築地に支店を出すんだが、やってみないか」と声を掛けられた。神田のラーメン「やよい軒」の支店なので「築地やよい軒」という店名にして1982年(昭57)7月、築地橋隣のビル地下1階に開店した。

20人で満席になる小さな店。「最初はお客が入らなくて、中華料理なら何でもやった。出前もやったら中央区役所でひいきにしてくれた」と村田さんは当時を思い返した。従業員は妻春江さん(71)だけ。10人以上の出前が入るとお客さんに店番を頼んで2人で出前を運んだ。「お客さんに何度も救われた」と村田さんはしみじみとつぶやいた。

そんな中、故郷の長野県の野沢菜を刻んだラーメンを考案した。「修業していた中華料理店で中国人の先輩料理人が中国の青菜でまかないをつくって、それがおいしそうだった。野沢菜でもできるかな、と試したらうまかった」と村田さんは一番人気に成長したやよい麺をつくった経緯について語ってくれた。

コロナ禍ではあったが、営業を休んだことはなかった。最近は足腰の不調で仕込みもつらくなり、夜の営業をやめて、昼のラーメンメニュー提供だけにした。昨年末ごろから閉店を決意。常連の男性に春江さんが何の気なしに閉店の意向を告げると30代の料理人を紹介してくれた。

村田さんは27日で引退するが、28日から店の改修工事を経て、紹介された若い料理人にやよい麺のレシピも含めすべてを託して引き継ぐことに決めた。「私は限界だけど、店の味は正確に継承してくれる。最後もお客さんに救われましたね」と村田さんは話し「改修するのは、厨房(ちゅうぼう)にクーラーがないから。店は同じ場所で続きますから」と、優しくほほえんだ。【寺沢卓】