チームや選手の戦績、戦術論や技術論、人間ドラマといったスポーツジャーナリズムの主戦場を離れたところでも、ファンは野球を取り巻く豊かな文化を楽しんでいる。そんなことを改めて気づかせてくれるのが、スージー鈴木著「いとしのベースボール・ミュージック 野球×音楽の素晴らしき世界」(リットーミュージック)。どこから「ディグって」(発掘して)きたのか、時代とジャンルを超えた名盤、珍盤の数々を紹介する野球音楽評論だ。

「いとしのベースボール・ミュージック 野球×音楽の素晴らしき世界」(スージー鈴木著、リットーミュージック)
「いとしのベースボール・ミュージック 野球×音楽の素晴らしき世界」(スージー鈴木著、リットーミュージック)

公式の球団歌から応援歌の元歌、高校野球の校歌、ノベルティー・ソング(企画モノ)、ポップス歌手のアルバム曲まで。たとえば「まぶしい草野球」(松任谷由実)。青空のもと「あなた」がプレーする草野球を「まぶしい」と形容するユーミン。著者はその言語感覚に感嘆しつつ、ドームと人工芝のプロ野球に、その詩情はあるか、と問う。あるいは、2004年(平16)の球界再編問題で消えた近鉄への郷愁、新たに誕生した合併球団オリックスへの複雑な感情を吐露しつつ、新球団歌「SKY」を音楽的先進性と大衆性を併せ持つ傑作と高く評価する。

夏の高校野球の応援ソング「夏疾風」(嵐)については、その爽やかな曲調とは裏腹の酷暑と酷使の甲子園は「これでいいのか」と冷めた視線を送ってみせて、「オマリーの六甲おろし」を歌うトーマス・オマリー(元阪神など)の歌唱は、明治以来の日本人の欧米信仰を吹き飛ばす破壊力がある、と笑わせる。

ほかにも「そんなふたりのラブソング」(落合博満、落合信子)「スーパースター」(東京事変)「掛布と31匹の虫」(掛布雅之)「Mr.アンダースロー」(明石家さんま)「栄光の男」(サザンオールスターズ)など234編が採録されている。ヒットチャートとは別の場所で、いかに多くの人が野球を歌ってきたかが分かるだろう。同時に野球の大衆文化としての厚みと深さにも気づくはずだ。本書は文化の記録であり、日本野球の裏面史でもある。

スージー鈴木氏
スージー鈴木氏

著者は66年、大阪生まれ。都内の大手企業に勤務する。その傍ら、コード進行やメロディー、リズムを分析して、ミュージシャンの作家性や楽曲の時代性を明らかにする、いわば理系的な手法で音楽評論の新境地を開いた。本書は、野球と音楽への偏愛を全開にした文系的なオタク仕事によって、野球評論の新たな地平に挑んだ1冊だ。

さて、本書を読み進めていくと、ふと気づくことがある。80年代までのプロ野球選手は、実によく歌っていたのだな、と。落合、掛布のほかにも原辰徳、江夏豊、リー兄弟、中畑清、高橋慶彦、柳田真宏まで。プロ野球のスターが全国区だった時代。その人気は、音楽業界にとっても魅力だったのだろう。翻って今、歌う選手は少なくなった。歌わぬプロ野球選手が物語るものは何か。日本社会におけるプロ野球の現在地が見えるようで、興味深い。(この項おわり)【秋山惣一郎】