野球の国から

ロッテ田中英祐は性格見抜いての指導が必要だった

<小谷の指導論 ~ 放浪編9>

4、5年ずっと、心のモヤモヤが消えないままでいる。がんの告知を受け、昨シーズン限りで巨人を退団した。無事に手術を終え、自宅で療養していても、その思いは変わらない。

16年2月、ロッテ石垣島2軍春季キャンプで、ブルペンで投球するロッテ田中英祐
16年2月、ロッテ石垣島2軍春季キャンプで、ブルペンで投球するロッテ田中英祐

モヤモヤの理由…それはロッテの2軍投手コーチ時代に出会った田中英祐との日々である。携わった中で、はめるのに苦労した投手が3人いる。元ヤクルトの石井弘寿(現1軍投手コーチ)、元巨人の越智大祐、そして田中だ。

14年のドラフト2位でロッテに入団した。初の京大卒プロ野球選手として非常に注目され、キャンプは1軍でスタートした。自分は2軍の投手コーチだったが、ブルペンは隣り合わせで田中の投球はいつでも見られた。「軸の移動時からフィニッシュまで、ずいぶん首を大きく振る投げ方だな」と第一印象を持った。

正直に言って、心の中では「2軍に落ちてくるなよ」と思っていた。このままでは1軍の試合は苦しい。でも、子どものころからこのスタイルで投げてきて、スカウトの人が「いける」と読み、ドラフト2位で指名したのだ。時間がたてば、いいものが出てくるだろうと思っていた。

願いはかなわず、シーズン開幕を前に2軍に降格してきた。その日から田中との死闘が始まった。

自分なりに計画を立て「必ず修正できる」と思うまで、アドバイスはしないと決めた。ただ「これだ」と決めていたことはあった。あまりに激しかった首の振りを修正すればいいと結論づけた。視点は間違いではなかったが、問題だったのは首振りの「止め方」を誤ってしまったのだ。

田中に対し、最初は目標を左肩越しで見るように指導した。要するにそこから投球動作に入って、インパクト時に肩の入れ替えをさせれば、首振りは抑えられると読んだが、伝え方を間違った。

首が大きく振れる原因は、投球中ずっと両目で目標を見るからだった。本人が意識してるかは別だが、多くの右投げ投手は、左目で目標を見ながら投球動作に入る。リリースの直前までは左目で、インパクトの時に両目で目標を見る。目の入れ替えをするのだが、田中は始動から両目で見ようとする投手だった。

性格を見抜くのも遅かった。何事にも素直に取り組むし、努力は惜しまないタイプ。しかし、前日のアドバイスに今日はプラスアルファで上乗せしたつもりでも、田中は今までのアドバイスをゼロにして、今日のアドバイスに取り組む根本の気質があった。「我以外皆我師」という本質を見落としたのだ。

そんな中、4月29日の西武戦でプロ初登板が訪れた。「たら、れば」を言えばキリがない…あの1球がストライクであれば、あの投ゴロをゲッツーにしておけば、もっと長い回を投げられたかもしれない。野球とはそんなものではあるが、そんなものと思ってはいけない。

観察期間が短すぎたと自戒する。本人の焦りもあっただろうが、要は自分も「開幕に間に合わせよう」と焦ってしまった。申し訳ない気持ちが消えない。

目を閉じよ、目を閉じよ。目を閉じなければ ほんとうに観ることは出来ない。

種田山頭火の句を読み、ハッとした。表面だけでなく、スパイクの裏に張っている根まで見た上で指導しなければいけなかった。ユニホームを脱いでから気付くのだから、何とも情けない話。田中君には今後の人生で成功してほしいと心から願っている。(次回は6月上旬掲載予定です)

小谷正勝氏(2019年1月18日撮影)
小谷正勝氏(2019年1月18日撮影)

◆小谷正勝(こたに・ただかつ)1945年(昭20)兵庫・明石市生まれ。国学院大から67年ドラフト1位で大洋入団。通算10年で24勝27敗。79年からコーチ業に専念。11年まで在京セ・リーグ3球団で投手コーチを務め、13年からロッテで指導。17年から昨季まで、再び巨人で投手コーチ。

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