大垣日大(岐阜)の阪口慶三監督(74)は「精いっぱいチーム作りをやってきたからね。今は疲れを取りたいですね」と試合後、息をついた。それだけの思いを、100回大会にかけていた。

 8日の1回戦、14日の2回戦の試合前。阪口監督は11年ぶりに内野ノックを打った。8年前に脊柱管狭窄(きょうさく)症の手術を受けてからは、左手がしびれノックを打つことができなかった。しかし「100回大会に出られるとなったら、左手が不思議に動くんですよ」と力がわいた。「先生打ってください」という教え子のお願いにも背中を押された。

 阪口監督は選手たちが入部する際、保護者にこう約束する。「自分の子どもたちとして、3年間預からせてもらいます」。今年は県大会が始まる約1カ月半前から、寮に泊まり選手たちと寝食をともにした。「今大会にかける思いが長いこと続いたね」。例年より長い寮生活。練習から寮に帰ると、阪口監督は玄関で着ているものを全て脱ぐ。全裸で浴室まで闊歩(かっぽ)する姿に最初は選手たちから驚かれるが、“裸の付き合い”に自然と心の距離が近づいた。「アメトーーク! 高校野球大大大好き芸人」といったバラエティー番組を見ながら談笑。孫ほど年の離れた選手に、目線を合わせて心を通わせている。

 グラウンドでは必ずユニホーム姿。「戦闘服」を着れば背筋も伸びる。「体力をつけなあかん」と、自宅から学校まで徒歩40分の距離を歩いて通った。「自分の人生です。毎日夢を見ます。(夢を見て)暴れまくって女房に腕をつかまれて、びっくりする。全てが野球です」。野球とともに人生を歩んできた。

 かつては「鬼の阪口」と恐れられた名将。選手たちは自らを「鬼の子ども」と言っている。「こんな純粋な子供たちと、こんな仕事はないよ」と阪口監督。見据える先は91回目のセンバツ、そして101回目の夏。鬼のノックを受けたい子どもたちは、まだまだたくさんいる。【磯綾乃】