高校野球の監督として取手二、常総学院(ともに茨城)で計3度の甲子園大会優勝を果たした木内幸男氏が24日、死去した。89歳だった。 がんが全身に転移しており、自宅で闘病中だった。最近では肺に転移したことで肺に穴が開き、言葉がうまく出ず、かすれ声になってしまっていた。見舞いの人とは筆談でやりとりしていた。 教え子たちには「病院に入ったら出てこられないから、今のうちに会いに行くように」と、連絡が来ていた。木内氏も病床で気になる教え子たちの名を繰り返し口にしていたという。

木内幸男氏が死去 取手二、常総学院で3度全国制覇

「指導力抜きんでていた」木内さん悼む/中村順司氏

渡辺元智氏「一時代築き、熱狂させた方」木内氏悼む

帝京・前田監督「勝負師だがひょうきん」木内氏悼む


84年8月 取手二高はPL学園を破り優勝

全国高校野球選手権を制し、優勝旗を持つ木内幸男監督

「幸せな出会い」取手二でV吉田剛氏 木内さん悼む

84年8月、全国高校野球選手権を制し、優勝旗を持つ木内幸男監督(手前右)
84年8月、全国高校野球選手権を制し、優勝旗を持つ木内幸男監督(手前右)
84年8月、PL学園を破り優勝し、胴上げされる取手二の木内幸男監督
84年8月、PL学園を破り優勝し、胴上げされる取手二の木内幸男監督
84年8月、夏の甲子園で決勝進出を果たし「PL倒せ」と書かれた大うちわを持ち込み、木内監督(中央)を囲んで気勢をあげる取手二ナイン
84年8月、夏の甲子園で決勝進出を果たし「PL倒せ」と書かれた大うちわを持ち込み、木内監督(中央)を囲んで気勢をあげる取手二ナイン

01年4月 常総学院がセンバツで優勝

初優勝を飾った常総学院ナインと木内幸男監督

金子誠氏「ボヤキや教えは原点」恩師木内さん悼む

DeNA仁志2軍監督「野球人生の原点」木内氏悼む

初優勝を飾った常総学院ナインと木内幸男監督(中央)
初優勝を飾った常総学院ナインと木内幸男監督(中央)

03年8月23日 東北を破り夏の甲子園優勝

優勝旗の隣に誇らしげに立つ常総学院・木内幸男監督

若生正広氏「よくかわいがってもらった」木内氏悼む

木内氏へ「もうひと頑張り」佐々木力氏の声届かず

第85回全国高校野球選手権大会・決勝戦 常総学院対東北 優勝旗の隣に誇らしげに立つ常総学院・木内幸男監督(2003年8月23日撮影・和賀正仁)
第85回全国高校野球選手権大会・決勝戦 常総学院対東北 優勝旗の隣に誇らしげに立つ常総学院・木内幸男監督(2003年8月23日撮影・和賀正仁)
第85回全国高校野球選手権大会・決勝戦 常総学院対東北 常総学院の夏の甲子園初優勝を達成し、胴上げされる木内幸男監督(撮影・栗木一考)
第85回全国高校野球選手権大会・決勝戦 常総学院対東北 常総学院の夏の甲子園初優勝を達成し、胴上げされる木内幸男監督(撮影・栗木一考)
第85回全国高校野球選手権大会・決勝戦 常総学院対東北 胴上げ後、ナインからウイニングボールをもらいじっと感慨深げに見つめる常総学院・木内幸男監督(撮影・和賀正仁)
第85回全国高校野球選手権大会・決勝戦 常総学院対東北 胴上げ後、ナインからウイニングボールをもらいじっと感慨深げに見つめる常総学院・木内幸男監督(撮影・和賀正仁)


近年の様子

常総学院対藤代 試合に敗れた常総学院・木内監督だが、会見で笑顔を見せる(2011年7月27日撮影・鈴木正人)
常総学院対藤代 試合に敗れた常総学院・木内監督だが、会見で笑顔を見せる(2011年7月27日撮影・鈴木正人)
常総学院対福井商 勝利が決まり、笑顔を見せる常総学院・木内幸男前監督
常総学院対福井商 勝利が決まり、笑顔を見せる常総学院・木内幸男前監督
第98回全国高校野球選手権茨城大会 決勝 明秀学園日立対常総学院 スタンドで試合を観戦する常総学院元監督の木内幸男氏(中央)
第98回全国高校野球選手権茨城大会 決勝 明秀学園日立対常総学院 スタンドで試合を観戦する常総学院元監督の木内幸男氏(中央)

◆木内幸男(きうち・ゆきお)1931年(昭6)7月12日、茨城・土浦市生まれ。土浦一では中堅手で主将。卒業後は慶大進学を断念し、母校コーチに就任。53年監督就任。56年取手二に移り、84年夏の甲子園でエース石田(元横浜)遊撃吉田(元近鉄)を擁し、決勝で清原、桑田のPL学園を下し優勝。同年9月に常総学院監督に就任。01年センバツ優勝、03年夏も全国優勝。大会後に勇退も05年秋に総監督、07年秋に監督復帰。11年夏に勇退した。