涙はなかった。東出輝裕内野手兼2軍野手コーチ補佐(35)が10日、マツダスタジアム内で引退会見を行った。99年の高卒1年目から1軍でプレーし、低迷期を支えた。13年の大ケガを機に1軍の舞台から遠ざかったものの、一時代を築いた背番号2の残した記録と記憶が色あせることはない。

 最後まで涙を見せなかった。「(13年に)足をケガした瞬間にやめようかなというよりも、やめなきゃいけないと思った。足で入った選手なので、足が動かなくなったらやめようと思っていた」。13年から3年間、1度も1軍の舞台に立つことなく、背番号2のユニホームを脱ぐことになった。

 13年2月2次キャンプ中に左膝前十字靱帯(じんたい)断裂の大ケガを負った。手すりがなければ歩くこともできず、リハビリには約1年の月日を費やした。昨季春季教育リーグで実戦復帰するも不安は消えず、特に守備走塁には影響が出た。ようやく自分の感覚で動ける手応えをつかんだのは今季終盤。「打撃は今までで一番良かった」。しかし、1軍に帰ってくる場所はなかった。「チームが大事なときに呼ばれないということはユニホームを脱がないといけないということ」と吐露。決断に至った。

 身長171センチの体で、競争の世界を生き抜いてきた。高卒1年目の春季キャンプでは、当時主力の前田、野村の打撃を目の当たりにし「この世界でやっていくのは無理だと思った」。練習の虫と化し「技術が上がっていくことに喜びを感じていた」。オフには広島市内のトレーニングジムに通い肉体強化。ある年のシーズンオフには前田の運転手を買って出て、自宅から大野練習場までの行き帰りで打撃論を聞き込んだ。自軍だけでなく、中日立浪らにも助言を求めた。自ら“野球オタク”という飽くなき探求心で技を磨いた。

 悔いがまったくないと言えばうそになる。「やりたいか、やれないのかは違う」。30分近く及んだ引退会見でこぼした本音だろう。しかし引き際に迷いはなかった。今季は現役と兼任で2軍野手コーチ補佐も務めたが、今後も球団に残り、コーチとして指導者の道を歩む。「選手と同じように悩みながら勉強していきたい」。打撃用手袋に記した「野球小僧」の野球人生の第2章が幕を開ける。【前原淳】