中日加藤宏幸球団代表は6日、ナゴヤ球場で取材に応じ、木下雄介投手(27)が3日に死去したことを発表した。同投手は7月6日のナゴヤ球場でのリハビリ練習中に倒れ、救急搬送。病院で入院、加療を続けていたが、帰らぬ人になった。

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木下さんがプロ入り前に所属していた四国IL・徳島の当時の監督で、現在京都先端科学大で監督を務める中島輝士氏(59=元日本ハム、近鉄)も悲しみを隠せなかった。「2年一緒にやりました。これからなのに、本当に残念です」。倒れてからの入院生活を心配していたが願いは届かなかった。

出会いは当時徳島に所属していた巨人増田大の紹介だった。「増田がどうしても見てほしい選手がいる、と紹介してきたのが木下でした。テストをして入団させました」。増田大は小松島高校出身で生光学園の木下さんと同学年。徳島でしのぎを削った盟友からの推薦がきっかけだった。

スタミナ面も鑑み、150キロの速球を生かすためにリリーフとして起用。中日スカウト陣の目に留まり、育成契約ながらプロ入りが決まったことを喜んだ。「負けず嫌いの性格で強気な姿を見せていたけど、(マウンドでの)気持ちは優しかった。それを克服して、さらに上に行こうとしている矢先でした。小さいお子さんも2人いてこれからだったのに。期待していただけに、寂しいです」。残された家族の悲痛も思い、言葉に詰まった。【伊東大介】