オリックスの前身、阪急最後の優勝となった1984年(昭59)、遊撃守備の達人としてチームを支えたのが、弓岡敬二郎氏(63=オリックス球団職員)だ。新人でいきなり全試合に出場し、2度のゴールデングラブ賞を獲得。主に2番遊撃で3年連続リーグ最多犠打をマークするなど、1番福本豊と、中軸の簑田浩二、ブーマー・ウエルズらをつないだ。オリックスでも受け継がれる伝統のチームプレーに目を細め、25年ぶりVを願っている。【取材・構成=高野勲】

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攻守に職人芸を披露し、弓岡は名門阪急を支え続けた。80年ドラフト3位で入団。同年のキャンプで遊撃の名手大橋穣が肩を故障して出遅れた穴を、見事に埋めてみせた。いきなり全130試合に出場。新人の全試合出場は、2リーグ分立後9人目の快挙だった。

弓岡 とにかくがむしゃらに、先輩方についていっただけですよ。当時の私はやせていて腕も細く、周りから「半袖のアンダーシャツを着るな」とからかわれていました。試合後に毎日30分、ベンチプレスを欠かさずにやって鍛えました。

大橋といえば、「史上最高の大豊作」と語り継がれる68年ドラフト1位の12選手で最初に指名され、東映に入団した伝説の選手だ(当時は12球団が数字が書かれたクジを引き、番号の若い順に希望選手を指名)。72年の阪急移籍後、あまりの守備範囲の広さから、本拠地西宮球場では左翼前の芝生を削って内野を広くした逸話も残る。それでも弓岡は「大橋さんが戻られても、絶対にレギュラーは守る」と決意。飽くなき向上心で、守りの腕前を上げ、大橋から遊撃を奪った。

テレビでテニスの試合を見ていると、サーブを受ける一流選手たちが両足を小刻みに動かしていることに気づいた。これを守備に応用できないかと考えた。

弓岡 遊撃は前後左右に、さまざまな球が飛んできます。「静から動」ではなく「動から動」へ。これで一気に動きがよくなりました。

課題だった打撃も向上した。プロ2年目、82年の秋季キャンプの臨時コーチ、山内一弘に徹底指導を受けた。肘と体を密着させ、ボールの内側をたたく練習を繰り返した。バットを最短距離で出すことで、確実性が増した。1年目に続き、主に2番を任された3年目の83年から5年連続規定打席に到達。84年には3割4厘でパ・リーグ8位に食い込み、阪急としての最後の優勝を支えた。

83年から3年連続でパ最多犠打と、小技も光った。投手と一塁手の間に、打球を柔らかく転がすことを意識した。バットのヘッドを立てて構え、芯で捉えて投球の勢いを殺す。バット越しに、右手のひらでボールをつかむイメージを心掛けた。バットを引いてしまうと、ファウルになる恐れが高まると、経験から悟っていたという。

プレーだけではない。弓岡が阪急で「2番遊撃」を守り続けられた背景には、徹底したフォア・ザ・チームの精神があった。当時の上位打線には、1番福本豊、中軸に簑田浩二、ブーマー、水谷実雄、松永浩美と役者がそろっていた。

弓岡 一塁に福本さんという絶対的なランナーが出ておられた場合には、併殺打だけは絶対に許されません。福本さんを塁に残し、後ろの強打者につなぐことが求められます。バントも決められない、進塁打も難しいと思ったら、ゲッツーを防ぐためにわざと三振したことも何度もありましたよ。

今季のオリックスは首位を走り、久々に優勝争いに加わっている。球団職員として一緒に戦う弓岡は、現在の主力打者たちにも阪急の伝統が受け継がれていると感じている。

弓岡 吉田正、杉本、T-岡田は豪快に打つイメージが強いでしょう。でもランナーが一塁にいると、言われなくても必死に一、二塁間に転がそうと、走者を進めるバッティングをしてくれていますよ。中軸がこういう姿勢を崩さなければ、必ず優勝できると信じています。(敬称略)

○…弓岡氏が阪神で全試合出場を続ける佐藤輝にエールを送った。「肘をうまくたたんで打球にスピンをかけることができ、フォロースルーも上がりすぎない。理想的な打ち方です」と打撃フォームを絶賛。自らも達成した新人年の全試合出場については「オンとオフをどう切り替えられるかが、彼にとってとても大事になってくる。体のケアをしながら、進んでいってほしい」と期待を寄せた。

◆弓岡敬二郎(ゆみおか・けいじろう)1958年(昭33)6月28日生まれ、兵庫県出身。東洋大姫路では1年夏と3年春に甲子園出場。卒業時にクラウン(現西武)からドラフト3位指名を受けたが入団辞退。新日鉄広畑へ進み、80年ドラフト3位で阪急(現オリックス)入団。現役時代は172センチ、70キロ。右投げ右打ち。ベストナイン1度(84年)ゴールデングラブ賞2度(84、87年)。91年の現役引退後はオリックスのコーチや2軍監督のほか、14~16年には四国IL・愛媛の監督も務めた。現在はオリックス球団事業運営部のコミュニティーグループで、少年野球大会の運営などに携わる。