34年務めたオーナー職を今季で退くオリックス宮内義彦オーナー(87=オリックス本社シニア・チェアマン)が有終の美を飾った。

仰木彬監督が率いて「オリックス」で初の日本一になった96年以来。「冥土の土産と言ったら怒られるが、仰木さんにいい報告ができる。無上のよろこびです」。孫のような選手の手で胴上げされた。 4度のリーグ優勝、2度の日本一。低迷期が圧倒的に長く、近鉄との歴史的な合併もあった。自ら強権を振るい、監督も頻繁に交代させた。変わらなかったのは野球と球団への愛情だ。「若いチームだしこれからも前進してほしい。ずっとチャレンジャーであってほしい。最後の年で、いやまだ死ぬわけじゃないから。個人的にはめちゃくちゃいい締めくくりをしてくれたなと、最上の締めくくりだと思うけど、来年からはもっと強力なファンになります」。来季のオーナーにはオリックス本社の井上亮(まこと)グループCEO(70)が内定している。

◆96年のオリックス 前年の95年1月に阪神淡路大震災が発生。当時本拠地の神戸が壊滅状態となり、チームは「がんばろうKOBE」を合言葉に95、96年とリーグ2連覇を達成した。96年はイチローのサヨナラ安打でリーグV。「メークドラマ」の長嶋巨人との日本シリーズを4勝1敗と圧倒した。チームがオリックス球団となって初の日本一に輝き、本拠地で胴上げされた仰木監督は「ペナントレースに続いて神戸で日本一を決められたというのは、この上ない喜びです」と感激した。

◆オリックスの阪急球団買収 1988年(昭63)10月19日、阪急ブレーブスがリース業界最大手のオリエント・リースへの譲渡を発表した。推定譲渡金額は約40億円。オリエント・リースの宮内義彦社長(当時53歳)は同日夜、東京都内の自宅で取材に対応。神戸出身で「中学生のときから阪急ファン」と明かし、「決してグループ企業のPR役とは考えていない。赤字でいいとは全く思わない」と、球団経営をシビアに考える姿勢も見せた。翌年4月から企業名を「オリックス」と変更することが決まっており、新球団名は「オリックス・ブレーブス」。宮内社長は上田利治監督の留任や阪急電鉄からの職員の残留を求めて実現した。

◆宮内義彦(みやうち・よしひこ)1935年(昭10)9月13日生まれ、兵庫県出身。関学大卒。ワシントン大学経営学部大学院でMBA取得後、日綿実業(現双日)を経て1964年(昭39)にオリエント・リース(現オリックス)入社。80年に代表取締役社長。88年、阪急買収に伴いオリックス球団のオーナーに就任。00年会長兼グループ最高経営責任者(CEO)、14年からシニア・チェアマン。87歳は12球団オーナー最高齢。就任33年目の今年1月、今季限りでオーナー職を退くことを発表した。

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