ハセシンはんがやりおった!9回2死、あと1人で敗北…そんなピンチを西武長谷川信哉内野手(21)が救った。日本ハム田中正から値千金の1号ソロを左翼席へ運んだ。土壇場で追いついたチームは延長12回に勝ち越し、この日9回裏に10得点を入れて大逆転サヨナラ勝ちした2軍同様に“親子ミラクルゲーム”を演じた。21歳の誕生日前日に前祝いとなった立役者の長谷川は、京都市の出身で、母は舞妓(まいこ)として活躍していた。母のように強く美しく、レオのスター候補生が歩き出した。

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強い目力のスター候補生が西武を救った。9回2死走者なし、20歳の1番長谷川はびびらない。むしろ。

「絶対に自分が最後の打者にはなりたくなくて、初球から思い切り振っていこうと入りました」

日本ハムの守護神田中正の2球目の152キロを振り抜き、左翼席へ。土壇場での同点ソロは、極めて価値の高いプロ初本塁打となり「ここ一番の場面で出てうれしいです」と白い歯を見せた。

敦賀気比(福井)から育成ドラフトで入団し、プロ3年目を迎える。2軍で打率3割2分4厘、4本塁打、22打点、11盗塁と充実の数字を残して1軍へ。それでも「本当はもっと圧倒的な数字を残して1軍に上がりたかった。二塁打や三塁打が少なかったので」と貪欲だ。その2軍はこの日、9回裏に0-7から10得点を挙げての大逆転劇でサヨナラ勝利。当然、知っていた。「1軍でも。そういう気持ちは少なからずあったと思います」。最後まで食らいつく若獅子魂を、北の大地でさく裂させた。

ハートは強い。京都市東山区出身で、母りかさんは舞妓をしていた。「中学の時から修業をしたと聞いています。厳しい世界で生きてきた人だと思うので」。礼儀やあいさつは徹底的に仕込まれた。「会った人にはあいさつしなさい、近所の人も知ってる人やったらあいさつしなさい、そういう教えで来たので。いつ助けられるか分からんから、って」。今でもあいさつは先制攻撃が基本。たとえ初対面の人でも。生粋の1番打者タイプだ。

いつ助けられるか分からんから-。そう教えられてきた青年が、この日はチームを救った。球場を午後11時に出発し、1時間後には21歳になる。ウイニングボールは育ててくれた親に渡す。これから、どんな大人になっていきたいのだろう。「そんな深いのはないですけど、気にしてもらえるような大人にはなりたいですね」。長谷川信哉が鮮烈に、勝負の席に上がってきた。【金子真仁】

◆長谷川信哉(はせがわ・しんや)2002年(平14)5月17日、京都府生まれ。中学時代は嵐山ボーイズ所属。敦賀気比では2年春に投手から野手に転向。2年夏に甲子園出場。20年育成ドラフト2位で西武入り。22年7月2日に支配下選手登録され、同日ソフトバンク戦でプロ初出場。通算43試合で1本塁打、4打点、打率1割9分8厘。183センチ、85キロ。右投げ右打ち。今季推定年俸670万円。