元阪神外野手の横田慎太郎さんが18日午前5時42分に脳腫瘍のため亡くなった。28歳。阪神球団が発表した。通夜、告別式は詳細が決まり次第、発表する。

鹿児島実から、13年ドラフト2位で阪神に入団。父はロッテで外野手として活躍した真之さん。17年2月に判明した脳腫瘍の後遺症の影響もあり、19年に引退を決断。引退試合となった2軍戦で中堅から本塁へ走者を刺したプレーは自身の著書として「奇跡のバックホーム」を記し、その後、ドラマ化された。

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横田さんが28歳の若さでこの世を去った。先月9日に誕生日を迎えたばかりだった。昨年春に脳腫瘍が再々発したが、地元・鹿児島に戻りオンラインなどを使って講演活動を行っていた。18日早朝に亡くなった。

小柄ながらロッテのレギュラーとして長く活躍した父真之さんよりも15センチも高い187センチの大型外野手だった。高校通算29本塁打を誇り、鹿児島実から、13年ドラフト2位で阪神に入団。3年目の16年に開幕スタメンで1軍デビュー。将来の主軸と期待されたが、17年2月キャンプ中に脳腫瘍が判明。半年間の闘病から復帰し、症状が消えて安定した状態となる「寛解」と診断された。18年には育成契約を結んで再起を目指したが、後遺症で球が二重に見えプレーに影響した。「1球もボールがきれいに見えなかった。毎日、苦しかった」と19年限りで引退を決めた。

自著となり、後日ドラマ化された「奇跡のバックホーム」は、19年9月26日の2軍ソフトバンク戦(鳴尾浜)で起きた。8回2死二塁から中堅の守備に就き、中前への安打の打球をワンバウンドで捕球すると、本塁へレーザービーム。ノーバウンド送球で本塁突入した二塁走者を刺した。約3年半ぶりの公式戦、最後の試合で最高のプレーを見せた。「練習でもああいうボールはいったことないんです。本当に神様がいてくれたからだと思います。諦めずにやってきてよかった。打球は二重に見えていて、どこで跳ねているかも分からなくて」と、苦しいリハビリの乗り越えた先の奇跡のプレーだった。

引退後は鹿児島に戻り、自身の経験を元にした講演活動などを行っていた。元阪神川藤幸三氏のYouTubeにも登場。21年8月に配信されたものでは、脊髄に腫瘍が転移したことを明かし「本当に想像を絶する長い苦しい治療でした」と話していた。そして再々発。多くの人にこれからも困難に立ち向かうことを伝えようとしていた若者だった。

◆横田慎太郎(よこた・しんたろう)1995年(平7)6月9日生まれ。鹿児島県出身。鹿児島実から13年ドラフト2位で阪神入団。3年目の16年3月25日、開幕の中日戦に「2番中堅」で先発し、1軍初出場。17年2月に脳腫瘍が判明し、18年から育成契約。19年9月22日に引退を発表し、同26日の2軍ソフトバンク戦(鳴尾浜)で引退試合を行った。父の真之氏はロッテなどに在籍した元外野手。現役時代は187センチ、94キロ。左投げ左打ち。

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