一発のパンチですべてが変わるボクシング。選手、関係者が「あの選手の、あの試合の、あの一撃」をセレクトし、語ります。帝拳ジムの元トレーナー葛西裕一氏(50)の一撃は、西岡利晃氏の「ゴンサレス戦の左ストレート」です。日本人初の北米で防衛を逆転KOで決めた、技術と裏話を披露してくれました。(取材・構成=河合香)

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▼試合VTR 西岡は09年5月に敵地メキシコに渡り、WBC世界スーパーバンタム級王座のV2戦に臨んだ。相手は同級2位の指名挑戦者ジョニー・ゴンサレス。2階級制覇を狙った人気の強打者で、1回には右ストレートを浴びてダウンを喫した。長いリーチにも苦戦となったが、3回1分すぎに左ストレートを打ち込み、くの字になって吹っ飛ばしてダウンを奪い返した。立ち上がってはきたがふらついてレフェリーストップ。3回1分20秒TKOで劇的逆転勝ちを決めた。日本人の海外防衛は24年ぶり2人目で、本場の北米では初の偉業だった。王座獲得までは5度目の挑戦で39戦かかったが、現地で「モンスター・レフト」と呼ばれたこの一撃で名を上げ、通算7度防衛に成功した。

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あの瞬間、鳥肌が立った。そんなことは、後にも先にもあの試合だけ。一発で倒すのがボクシングの魅力。西岡が自信を持って打ち込んだ、奇跡とも言える逆転の一撃だった。

あの時、西岡は2ステップして打ち込んだ。普通は5センチぐらい1度だけステップする。それが最初15センチ、さらに8センチぐらい踏み込んだ。

ゴンサレスはリーチがあって懐が深く、さらにバックステップする。1度では入り切れなかった。2ステップは教えてないし、やったこともなかった。西岡もあとで「2度とできない」と言っていた。天才肌を示した一撃だった。

ゴンサレスは左フックが強く、まずは右腕を上げて徹底ガードした。それが初回に右をもらってダウン。前評判も不利と言われ、地元の人気者を相手に普通は負け試合。でも、西岡は相手に近づけていて、距離感では勝てると思った。

実は本田会長あっての一発と言っていい。試合前最後の食事で、ホテルでランチを食べた。その後はみんなで近くを散歩した。そうしたら、広場かなんかで、西岡が左ストレートを打ち出した。

それを見た会長が「もっと肘を絞めろ」と教えだした。「もっと上」とか「伸ばせ」とか言っての軌道調整。そのうち、きれいなフォロースルーで打ち切ると「それだ!それだ!」って。そのパンチで試合を決めたので、鳥肌も立ったんだと思う。

世界挑戦は4度失敗したが、元々才能があり、のみ込みも早かった。フィジカルやスタミナがなかった。ケガもあって時間はかかったが、その分、しぶとい帝拳魂がすり込まれ、つないでくれた。その象徴があの一撃だった。

◆葛西裕一(かさい・ゆういち)1969年(昭44)11月17日、横浜市生まれ。横浜高3年でインターハイ優勝。専大中退で帝拳ジムから89年プロデビュー。94年に20戦無敗でWBA世界スーパーバンタム級王座挑戦も1回KO負け。96年にラスベガス、97年に横浜でも世界挑戦は3度とも失敗した。右ボクサーファイターで通算24勝(16KO)4敗1分け。引退後はトレーナーとなり、西岡を皮切りに三浦、五十嵐、下田を世界王者に育てる。17年に退職して、東京・用賀にフィットネスジムのGLOVESを開いた。

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