14日に心不全のため49歳で死去した大相撲の元幕内力士、時津洋の吉岡宏典(よしおか・ひろのり)さんの葬儀・告別式が19日午後、東京・江東区内の葬儀所で営まれた。

式には、吉岡さんの入門時の師匠で理事長も務めた先々代時津風の内田勝男さん(81=元大関豊山)、吉岡さんと同部屋同期入門の枝川親方(49=元前頭蒼樹山)らが参列した。

中学時代、陸上の砲丸投げの選手だった吉岡さんは、徳島県内の中学を卒業後、85年春場所で初土俵。“阿波の怪童”の異名を取り、90年秋場所で新十両、92年夏場所で新入幕を果たし、最高位は93年名古屋場所の東前頭4枚目。188センチの長身を生かした四つ相撲で幕内を通算19場所務めた。95年九州場所から22場所は陥落した十両で取ったが、幕下陥落2場所目で最後に番付が載った99年秋場所を最後に引退した。

引退後は、準年寄「時津洋」として協会に残り、時津風部屋の部屋付き親方として後進を指導。01年9月に退職後はタレント、荒汐部屋のマネジャーなどを務める一方、都内やシンガポールでも、ちゃんこ店を経営していた。

愛弟子だった吉岡さんの若すぎる他界に、内田さんは「こんなに早く逝かなくてもいいものを…。ただ若かったけど、引退後もしっかり生きてくれた。豪放磊落(らいらく)な性格そのままに、相撲も真っ正面から正々堂々と取っていた。それは後の人生においても同じ。人知れず思いやりがあり温かい子でした」と悼んだ。

同期入門の枝川親方は昨年、会ったのが最後で「元気そうだね」と言葉を交わしたという。その時の吉岡さんは、現役時代と比べて痩せていたというが「健康的に痩せていたんだろうと思っていたから、うらやましかった。人を気遣うから自分の体のことはひと言も言わなかった。ひと言ぐらい言ってくれていたら」と悔しそうに話した。棺に向かって「ゆっくり休んでくれよ」と心の中で語りかけた枝川親方は「コイツには負けたくない、と思える存在でした。彼がいてくれたから、今の自分がある」と目を真っ赤に腫らしながら故人を見送った。