日曜日のヒーロー&ヒロイン

ラサール石井 It’s「笑」time

昭和歌謡を題材に、25年間演じ続けられてきた舞台「星屑の町」が映画化され、今月6日から公開される。不動のメンバーの中心にいるのがラサール石井(64)だ。デビュー以来、お笑い最前線の表裏を見てきたこの人ならではのホッとする笑いがこの作品にはある。

劇中の衣装でポーズを決めるラサール石井(撮影・中島郁夫)
劇中の衣装でポーズを決めるラサール石井(撮影・中島郁夫)

★94年下北沢の観客60人から

「星屑の町」が最初に上演されたのは94年。東京・下北沢の小劇場で初回の観客は60人だった。

「お客さんは日を追うごとに増えていきました。(放送作家の)高田文夫さんが一番前で体育座りしていて、次の日にラジオで話してくれたり、業界の口コミがものすごかった。当時の小劇場は若い人たちが音楽を鳴らしてぴょんぴょんはね回るようなのが多くて、おじさんが日常的な演技をするっていうのが逆に画期的だったんですね。観客がどんどん膨れあがって1週間後には劇場を変えなきゃならなかった。最後の回には横沢(彪)さんとか、当時のテレビの重鎮がそろって来てくれました」

「コント55号のなんでそうなるの?」(73年)で知られる放送作家の水谷龍二さんが描いたのは、売れないムード歌謡コーラスグループ「山田修とハローナイツ」が巡業先で巻き起こす笑いと人情の物語だ。

「劇場から遠ざかっていた年配の人たちも『これなら見られる』と。客席には文字通り老若男女がそろいました。水谷さんはコントもいいけど、しんみりした芝居のセリフもいい。水谷さんのセリフをずっとしゃべっていたいと思ったのが始まりです。もともと演劇志向の(コント赤信号の)小宮(孝泰)や水谷さんと親しかった、でんでんさん…星屑のメンバーは自然に集まった。問題はボーカルです。歌はうまくなきゃいけないけど、本物の歌手を引っ張ってくるのは違う。そこで大平サブロー君がめちゃくちゃうまいことを思い出した。大阪からサブロー君を呼んでカラオケで歌ってもらった。お金を取れる歌。全員納得でしたね」

★のんヒロインで勢い

上演後、映画化の話は何度か持ち込まれたが、スポンサーが付かなかったり、毎度立ち消えになった。

「今回もどうせ流れると思っていたんですが、のんちゃんがヒロインに決まって勢いがつきましたね。憑依(ひょうい)型の女優さんで、役が染みこんで役だか本人だか分からないくらいになっているおじさんたちの中にもすっと入ってきた。だから撮影は早い。小宮が芝居の稽古をしていて(午前)11時出しにしなければならなかったんです。朝7時に撮影を始めても4時間。それでたった2週間ですから。リハーサルでOKが出たこともありました。杉山(泰一)監督は臨場感を大切にしたんだと思いますけど」

ベテラン巧者ぞろいだからこそできる荒業だが、その分1人欠けても成立しない個性派集団でもある。

「98年のことですけど、(メンバーの)有薗(芳記)が大河ドラマに出演が決まり、僕がNHKと交渉したんですけど、どうしても舞台スケジュールと折り合わない。水谷さんが『大河は有薗のチャンスなんだから今回は許してやろう』と。有薗は警察に捕まっているという設定の脚本にしてつなぎました。サブロー君が辞めていた吉本に戻り、いつの間にか重鎮になってものすごく忙しかった06年は、独立してソロになったという設定にしました」

メンバーの歩みが投影された舞台でもあるのだ。

★コント赤信号

お笑いへの興味は大村崑への憧れから始まった。

「5歳の時に家族と見たテレビ番組の映像を今でも覚えています。でも、大阪だから同じクラスには自分より面白い人が死ぬほどいるわけです。中学くらいのときには演者は諦めて青島幸男さんみたいな放送作家になろうと思ってました」

早大入学後はミュージカル研究会で作・演出を担当した。

「先輩に放送作家の人がいて1年生のときにいきなりフォーリーブスのコントを書いたんです。僕が適当に書いたものを翌週スタジオに行くと山口百恵さんとか和田アキ子さんとかがまじめにやっている。罪悪感しかありませんでした」

演者への未練も頭をもたげてきた。テアトル・エコー養成所のオーディションを受け、渡辺正行、小宮孝泰と出会ったことがコント赤信号結成につながった。

「リーダー(渡辺)と小宮は僕が(台)本を書くと思っていたようですが、あれから1本も書いていない。僕らのコントは喫茶店でしゃべって作り、字に起こさない。1回通してやったらもうテレビにかける。全部口立てでした。埼玉が日本から独立するというコントもあって、まるで『翔んで埼玉』。1周回ってこう来るんだなあ、と」

★フジ日テレ逆転の始まり

80年代を席巻した伝説の番組「オレたちひょうきん族」(フジテレビ系)の現場には活力と工夫があった。

「スタジオの横にお菓子が置いてあって(ビート)たけしさんも(明石家)さんまさんも収録前にそこでバカ話をしている。そこで話したことがそのまま本番で出てくることが多い。だから三宅(恵介プロデューサー)さんはそこに集音マイクを立てて、上のサブ(調整室)でスタッフ全員で聞くことにした。たけしさんの話はどんどん変わっていくから最初はじっと聞いている。どうやらインド人の格好をしたいみたいだ、となるとスタッフは言われる前から衣装部に走るわけです。カレーも用意する。回を追うごとにスタッフは2人の動きを予測できるようになった。笑いも膨らんだ。でも、現場に来た2人が『これ違うな』となってボツになることも少なくなかった。何百万も掛かったセットでも、三宅さんは『ではやめましょう』と潔かった」

「ひょうきん族」が終了した89年以降もいつの間にかお笑いの一線にいた。親交があるさんまに招かれる形で出演した「さんま・一機のイッチョカミでやんす」は、日本テレビが絶頂の「フジテレビ的笑い」を取り入れる試みだった。

「日テレがさんまさんを初めて招いた番組で、トークで出てきた話題が次の瞬間にコントになっているという実験的なものでした。30分番組なのにさんまさんだからトークだけで2時間を超える。2週分通算4時間撮って全員で見る。面白いところだけを拾ってコントを作り、翌週はそれを基に組んだセットで2本コントを収録する。さんまさんは『ひょうきん-』同様に本番では全然違うことをやる。最初の収録では、さんまさんが予定外の行動を起こした瞬間、チーフカメラマンが『違う!』ってカメラを止めちゃった。いや、止めるのが違うだろって。そうやって日テレがフジ的な笑いを学んでいくわけです。当時のスタッフは今や日テレ高視聴率を支える幹部です。あれが逆転の始まりでしたね」

★なんで他人に厳しいんだ

当時許されていた過激な笑いはコンプライアンスの今は規制される。

「時代が違うから仕方ない。この前ジャニーズさんのタレントで『忠臣蔵』の話をやったんですけど、奥さんがいる主人公が若い女にちょっかい出したり、吉原行くんです。江戸時代に吉原行く話が今は『主役がクズ』って書き込まれる。若い女の人は共感できないって言われちゃう。確かに不倫は良くない。奨励はできない。でも、殺人がドラマの題材になるように、私生活とは別物じゃないですか。そこを地続きで考えるのはどうかと。だいたい、今の世の若い奥さんたち、死ぬほど不倫してますよ。僕の周りで聞いてもみんなやってます、マッチングアプリで。あんたやってるくせになんで他人にはそんなに厳しいんだって。あんまりガチガチに言うのはやっぱり良くないよね」【相原斎】

▼大平サブロー(64)

自分の出身校を芸名にする変なやつと思われるでしょう。今でこそ高学歴が普通のお笑い界ですが、40年前は高学歴とは無縁な芸人界でラサール高校から早稲田大学に行った人が芸人なんてホンマのアホかと言われました。突然現れたバカと賢いの間を行き来する不思議君。程遠い芸人になるべく、相当な努力があったはず。愚直な生き方、表現で友達も少なかった彼が今や芸人、歌舞伎、俳優とジャンル問わずに山盛りに友達がいる。今やラサール出のエリート同級生がうらやむ芸人、俳優、演出家としての揺るぎない地位に。まだまだこれからのラサール石井を見ていたい。

◆ラサール石井(本名・石井章雄=いしい・あきお)

1955年(昭30)10月19日、大阪生まれ。ラ・サール高校卒。早大文学部除籍。早大在学中にテアトル・エコー養成所で知り合った渡辺正行、小宮孝泰とコント赤信号を結成。90年代にはお笑い界きってのクイズ王として知られ、96年から放送されたテレビアニメ「こちら葛飾区亀有公園前派出所」では主人公・両津勘吉の声を担当した。

◆星屑の町

大平サブロー、ラサール石井、小宮孝泰、渡辺哲、でんでん、有薗芳記、菅原大吉を中心に16年の完結編まで25年間で計7作の舞台を上演。映画版ではのんをヒロインに迎えた他、舞台に2度登場した戸田恵子、柄本明も出演。昭和の名曲の他、オリジナル曲「シャボン玉」も。

(2020年3月1日本紙掲載)

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