キタサンブラック(牡5)が引退レースの有馬記念に勝利し、馬主である歌手北島三郎さん(81)が喜びを語った言葉です。JRAに馬主登録して44年。ついに有馬記念の歴史に名前を刻みました。見納めとなる愛馬の力走に、「一生のうちでこんなに感動することがあるのかと、81歳にして思いました」と男泣きしました。

 以前、北島さんの座長公演の楽屋でなぜか競馬予想を聞く、というトンデモ取材に押しかけたことがあります。快く応じてくれた北島さんの競馬愛を垣間見ているだけに、今回の快挙にこちらも感動です。

 20年以上前だと思いますが、都内の劇場で正月公演の初日を迎えた北島さんの楽屋取材会がありました。公演に関する取材以外に、日刊スポーツの記者としては、新シーズンの幕開けレースである日刊スポーツ金杯の予想をしてもらうという目的もありました。楽屋という限られた空間に、私以外はどのスポーツ紙も北島番のベテラン記者が勢ぞろいしていて、競馬のことなど聞けたもんじゃない雰囲気。終了後、記者たちが帰るどさくさに紛れてごあいさつし、出し抜けに「すみませんが金杯の予想を…」とお願いしました。

 場がどん引く中、北島さんは爆笑。「知らない顔が隅っこにいると思ったら日刊スポーツか。歌の抱負じゃなくて競馬を聞きに来たのか」と、場違いな女性記者を和ませてくれました。出走馬の紙面を見ながら、「金杯は大事だよねぇ。今年の競馬の始まりだからね」「できれば枠が決まってから来てほしいなあ」。にこやかにあれこれ予想してくれて、北島さんの競馬愛に救われた思い。「僕はサブローだからサブロク(3-6)も」と笑って付け足してくれたのもチャーミングでした。

 翌年の正月公演の初日も楽屋取材に行き、同じような流れで金杯の予想をお願いすると「また君か。また競馬なのか。俺のステージには興味ないんだな?」とおおらかな笑顔で突っ込んでくれて「新聞持ってきた?」。恐縮して手渡すと「まあ、日刊スポーツの金杯だからね。1月なんだからしょうがない」と、気さくに応じてくれました。

 北島さんは73年にJRAに馬主登録。個人名で所有していた時代を含めると、馬主歴は50年以上になります。こつこつと実績を積み、01年にキタサンチャンネルで初の重賞勝利。15年、ついにキタサンブラックがG1の菊花賞を制しました。

 何億円かけた馬が1円も稼がないまま引退するケースもある馬主の世界で、北島さんがキタサンブラックと出会えたことは感動的。G1の7勝は史上最多タイ、JRA獲得賞金18億7684万3000円は歴代トップ。愛馬が競馬史に刻まれる名馬になり「一生のうちでこんなに感動することがあるのか」という喜びにも納得です。

 北島さん、あの楽屋取材ではありがとうございました。キタサンブラックの栄光、おめでとうございます。

【梅田恵子】(B面★梅ちゃんねる/ニッカンスポーツ・コム芸能記者コラム)