大阪府の東大阪大学柏原高校出身のタレント間寛平(68)が30日、大阪市内で、柏原市の「かしわら笑顔大使」就任会見を行い、「寛平」の名前誕生秘話を明かした。

 高知県で生まれ、子供のころ、大阪市住之江区に移っていた寛平は中学卒業後、「トラックでも買うて働こう」と思っていたが、恩師に高校進学を勧められ、柏原高校へ進んだ。

 「そこで1年のとき隣やったカワニシ君が悪いヤツで殴られて。で、2年になったら隣の席になった」

 2年時には、その「カワニシ君」が「なんでか理由は分からんけど、突然(本名の重美ではなく)寛平、寛平いうて(ノートなどに)落書きしてきた」そうだ。寛平は吉本に入った当初、「名前だけで笑ってもらおう」と思い「ふんどししめよ」を名乗り、吉本新喜劇に出演。すると、当時の吉本社長から「なんや、あの名前は」と激怒され、改名を迫られた。

 悩んだ末、出てきた名前が「カワニシ君」に勝手につけられたニックネーム「寛平」だった。「そやから柏原高校で『間寛平』は生まれたんですわ」と、懐かしそうに振り返った。後に「カワニシ君」は南海電鉄で働き、再会したものの、命名理由は先方も覚えておらず、いまだ不明なままだとも明かした。

 そんな青春の思い出が詰まった柏原での高校時代。寛平は野球部に所属していたが「あの頃、1年だけで150人おった」とか。「レギュラー、補欠、その下に『イタい』グループがあって、僕は『イタい』組。先輩の『イタい』組に連れられて、毎週土曜は、ぶどう畑へぶどうを取りに行かされて、食べてた」とも告白した。

 ぶどうの産地で知られる柏原市には、ぶどう畑が多くあり、この日、大使委嘱式に出席した冨宅(ふけ)正浩市長(42)の実家もぶどう畑で、同市長は「それ、うちの実家ちゃいますか…。でも、大丈夫、時効ですから」と大爆笑。結果、大使として、寛平が先導する「ぶどう狩りツアー」も企画され、市長らは「ぜひともツアーを頑張って、ぶどうも全国的に売ってもらいたい」と“お返し”を求めていた。