こんな幼児は見たことがない。森保ジャパンの守備の要DF冨安健洋(23=アーセナル)。幼稚園時代から並外れた走力を持っていた。

地元福岡のクラブ「三筑キッカーズ」で当時監督を務めていた辻寛二代表(71)は、所属する選手の家を訪れた時、たまたまいた冨安の姿に驚いた。マンションで無邪気に友達と追いかけっこをしていたが、大柄なのにすっと上半身が立ち、足の回転も速かった。「ものがちがう」。所属選手やその家族のつても頼り、チームに招いた。

根っからの、練習の虫。チームは多い時は1日3試合、年間にすると約300試合にのぼった。それでも物足りず、終わるとそのままマンション近くの公園に向かった。負けじと周囲の人間も当初は練習をともにしていたが、しばらくすると誰も来なくなった。活動後の片付けを終えた辻代表が車で公園の横を通ると、いつもサッカーボールが壁に当たって跳ねる音が聞こえてくる。グラウンドに照明が導入されると、その音は日が落ちても続くようになった。

スーパー小学生として地元で有名だった冨安の素顔を、福岡のジュニアユースで指導した藤崎義孝氏(47)は回想する。「素直で、謙虚。また、これだと信じたものを継続する力がある」。体格だけで勝てていたヘディングも、アドバイスを送ると毎日自主トレに励む。高さ、スピード、両足の技術。この3拍子に、ひたむきさもあった。

センターバックとして、おそらく日本代表クラスの選手になれる。そう感じ、ジュニアユース時代はあえてボランチを任せた。「ポジションを下げるのは後の年代になってからでもいい。持っている能力が縮こまらないように」。ボランチなら追い越しもサイドのカバーも、DFラインに入ることもある。とっさの判断や、相手とのかけひきも覚えさせたかった。

福岡からシントトロイデンへ旅立ち、現在はプレミアリーグの名門アーセナルでプレーするまでに成長。サイドバック、ときにボランチもこなせる技術の原点は、地元で過ごした時間にあった。

今年6月、帰国したタイミングで福岡のアカデミーを訪れた。久々の再会だった恩師の藤崎氏は「胸板とか、上半身がすごく大きくなった」と進化を目の当たりにした。圧倒的な存在なのに、にこにこと笑う、愛されキャラは変わらない。体つき以上に、芯に通ったものを強く感じた。

藤崎氏 確信めいたものが身につきだしている。代表としての自覚も、プレミアリーグで戦うことも含めて、積み上げたものが正しいんだという自信をまとっている。ああなると選手は強い。ワールドカップの舞台でプレーできれば、さらに飛躍するのではないか。

アカデミーの選手たちには自らの言葉で伝えたという。「努力することを当たり前にして、その基準を上げていってね」。強みも弱みも理解し、継続の力で改善点を武器に変えていく。一切の妥協なく言葉を体現し、市場価値(所属クラブにいくら払えばいいのか推測した推定移籍金)は30・8億円と日本代表の中でもトップに立つまでに成長した。福岡が生んだ星が、カタールの地で世界にあらためて名をとどろかす。【岡崎悠利】

◆冨安健洋(とみやす・たけひろ)1998年(平10)11月5日生まれ、福岡市出身。福岡の下部組織から15年にトップ昇格。18年にベルギー1部シントトロイデンへ移籍し、19年にボローニャ、21年にアーセナルとステップアップ。21年夏の東京オリンピックに出場し、4強入りに貢献。国際Aマッチ29試合1得点。187センチ、84キロ。