東福岡が国学院久我山(東京A)を5-0で下し、2連覇した98年度大会以来3度目の優勝と、全国高校総体との2冠を達成した。1-0の後半2分、決勝用に温めていたトリックプレーを絡めたFKをMF中村健人主将(3年)が直接決め、相手の戦意を喪失させた。決勝では同校最多の5得点と伝統の攻撃力を見せつけ、6試合で5度目の完封と守備も光った。2連覇後は8強が最高だった名門がついに復活した。

 「赤い彗星(すいせい)」と恐れられた東福岡が、必殺のトリックプレーで復活を決定づけた。1-0の後半2分、ペナルティーアーク右付近からの直接FK。キッカーのMF中村主将の前で向きあって壁をつくったMF鍬先、DF児玉と小田の3人が肩を組み、「せーの」のかけ声で足並みをそろえて4歩後ずさり。キックの瞬間、この3人と相手の壁の前に立った3人が息を合わせて一斉にしゃがんだ。シュートコースを隠した技ありの一撃がゴール左隅に吸い込まれた。

 昨夏の総体準決勝で立正大淞南(島根)が仕掛けてきたトリックプレーを参考に選手権前から磨き上げ、この日に取っていた秘策だった。中村は「得点がなく得点したい強い気持ちがあったのでうれしい」と笑顔を浮かべ、国学院久我山の清水監督も「してやられた」と脱帽した、衝撃的な一撃。この2点目で流れを引き寄せ、計16本のシュートを浴びせて5点大勝した。

 最高峰のプレミアリーグ西地区に初参入した11年の苦い経験が、名門復活の転機となった。森重監督は「うちは攻撃的なチームだったが、ほぼ通用しない。攻撃に行くスタミナが守備に振り回されてなかった」。10年度から3大会連続で選手権を逃す屈辱も味わい、危機感はピークに達した。

 突破力のあるサイドアタッカーを配し、両ワイドを大きく広げる伝統の攻撃的な布陣「4-1-4-1」を生かすため、14年からフィジカルコーチを2人体制にし、陸上短距離を専門にするトレーナーを招請。森重監督が「校舎のわきに逃げ出したり、トイレに隠れる選手もいた」ほどのきつい練習のたまもの。球際、空中戦で競り負けないスタミナが備わった。

 ベンチでは森重監督と、礎を築いた志波総監督ががっちり握手。総体との重みが「まったく違う」(森重監督)と言い続けた選手権での優勝だ。昨夏は胴上げを固辞した分、3度も高く上がった。「指導者として全国優勝をするという夢を生徒がかなえてくれた。宙に舞ったときは最高の気分だった」。夏冬2冠で常勝軍団が息を吹き返した。【菊川光一】

 ◆東福岡 1945年(昭20)に前身の福岡米語義塾として創立した私立男子校。55年に現校名。普通科に生徒数2585人が学ぶ。サッカー部は70年創部、部員281人。97年度に総体、全日本ユース、選手権を制する史上初の「高校3冠」を達成。総体は97、14、15年優勝。主なOBは長友佑都(インテルミラノ)本山雅志(J2北九州)ら。ラグビー部は花園5度優勝、バレーボール部も今年の全日本選手権を2連覇。

<東福岡の主な記録>

 ▼夏冬2冠 同一年度に総体と選手権を制覇は史上6度目。過去に66年度の藤枝東、69年度の浦和南、97年度の東福岡、00、03年度の国見。東福岡は18年ぶり2度目で、2度の夏冬連覇は国見に次いで2校目。

 ▼3度目の優勝 97、98年度に次いで17大会ぶり3度目の優勝。選手権で3度の優勝は歴代8位タイ。最多は戦前の御影師で11度。2位が帝京と国見で6度。

 ▼選手権17大会ぶり優勝は最長ブランク これまでの記録は9大会ぶりが最長で、修道(52~61年度)秋田商(57~66年度)鹿児島実(95~04年度)市船橋(02~11年度)の4校。

 ▼東京勢2校撃破 東福岡は準々決勝で東京B代表の駒大高にも勝利。東京勢2校に勝ったのは選手権史上初の珍ケース。

 ▼決勝5点差勝ち 03年度の国見が筑陽学園に6-0で勝利して以来12大会ぶり10度目。首都圏開催の76年度大会以降は4度目。