新型コロナウイルス感染拡大の影響で、国内外のサッカーリーグ、代表の国際試合は中断、中止を余儀なくされている。

生のサッカーの醍醐味(だいごみ)が伝えられない中、日刊スポーツでは「マイメモリーズ」と題し、歴史的な一戦から、ふとした場面に至るまで、各担当記者が立ち会った印象的な瞬間を紹介する。

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クラブとして快挙に改めて気付かされたのは、初優勝から一夜明けた翌日だったかもしれない。

94年6月11日、Jリーグ第1ステージでサンフレッチェ広島が悲願の初制覇を遂げた。敵地でジュビロ磐田を2-1で制し、ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)全盛の時代に、地方クラブが風穴をあけた歴史的優勝だった。試合は、テレビ朝日系がアニメ「セーラームーン」などを差し替え急きょ、地上波で全国生中継された。

翌12日に新幹線で浜松から凱旋(がいせん)した際、広島駅には約500人のサポーターが出迎えた。当時の人気テレビ番組「進め!電波少年」のMCタレント松村邦洋が、アポなし収録のため駅で待ち構えていたほど。異常なほど熱気に包まれていた。

「長い挑戦だったが、まだスタートラインに立ったばかり。これからが本当の勝負」と語ったのは、前身マツダ時代から苦労を重ねてきたMF森保一(現日本代表兼五輪代表監督)。

FW高木琢也(現J2大宮アルディージャ監督)は、当時1歳だった長男利弥(現J2松本山雅FC・DF)を抱いて表彰式に臨んでいた。「苦しい試合で(周囲は)何も見えていなかった」と感極まった。

他の主力もMF風間八宏(前名古屋グランパス監督)DF片野坂知宏(現大分トリニータ監督)森山佳郎(現日本協会年代別監督)ら今の日本を背負う指導者ばかり。選手の平均年俸は推定2000万円。大半が無名の選手で低コストで最高の働きをした。

お金を投資するだけがクラブ強化ではないことを示したのが広島で、社会教育をされた選手が、個人技に頼りすぎない組織的な戦術でタイトルをたぐり寄せた。森保はその戦法を踏襲し監督として広島を3度優勝に導き、片野坂が大分を昨年9位にしてJ1優秀監督賞を受賞している。

当時、駆け出しの記者には忘れられないハプニングがあった。

授与されたチェアマン杯が表彰式後、興奮した選手やスタッフの手からコンクリート上にこぼれ落ち、大破する前代未聞の出来事があった。クラブは140万円をJリーグに弁償し、クリスタル製で高さ30センチ、重さ6キロの同杯を作り直した。壊れた破片を持ち帰って家宝にする選手もいた。

今年で28年目を迎えたJリーグ。あの時代に広島が残した功績は、永遠に語り継いでいきたい。【横田和幸】