前田浩二「プライドの勝利です」

Jリーグの歴史において、これほどまでに悲しき王者はいまだいないだろう。

1999年1月1日、天皇杯決勝。横浜フリューゲルスは2-1で清水エスパルスを下して賜杯を掲げた。勝敗にかかわらず、この試合を最後にクラブが消滅し、横浜F・マリノスへの吸収合併が決定していた。他クラブへ移籍する選手も多く、この試合が苦楽を共にした仲間と戦う最後の1戦だった。横浜Fのフィナーレを優勝で飾った選手たちは万感の表情を浮かべ、抱き合った。スタンドではサポーターが青く澄んだ空と同じ青と白のフラッグをはためかせ、泣いた。

選手やサポーターには秘密のまま進んでいた合併話だった。横浜Fの経営難により、98年10月29日のJリーグ緊急理事会で吸収合併を承認された。その後、選手は初めて厳しすぎる事実を伝えられた。街頭署名活動や当時の川淵チェアマンへの直談判など、存続を目指して限りを尽くしたが、回避はできなかった。「フェアプレー」という言葉にこだわり続けた選手会長のDF前田は「チェアマンは10月上旬には合併の話を知っていたのに、何の情報開示もなかった。最近『合併を認めなければ、2チームが消滅していた』とか言ってるけど、そういう問題じゃないはず。すべてがアンフェアに進められたことなんですから」。選手らは「天皇杯の優勝で見返す」と誓い合った。

合併発表後、横浜Fは9試合すべてで勝利した。宣言通り、天皇杯の頂点まで上り詰めた。前田は「我々は合併の不当性をフェアにアピールできた。プライドの勝利です」と言い切った。試合後にはJR新横浜駅前でサポーター約2000人に優勝を報告。終了後には新横浜プリンスホテルで初のビールかけを敢行し、最後の宴を終えた。