ガンバ大阪の元日本代表MF遠藤保仁(40)がこの試合で先発し、J1通算632試合出場となり、今季開幕戦で並んでいた楢崎正剛(元名古屋グランパスGK)を抜き、歴代単独1位の新記録を達成した。

今後破られない可能性が高い、この大記録を前に、遠藤家の“すごさ”を振り返っておきたい。

父武義さん(72)は野球を、母ヤス子さん(70)は陸上やバレーボールをしていたスポーツ一家。

長男拓哉さん(46)、次男彰弘さん(44)、三男の遠藤は、3人とも名門・鹿児島実サッカー部出身だ。毎朝6時台のフェリーで桜島から鹿児島本土へ渡り、夜遅く帰宅するというサッカー漬けの毎日を送った。

3兄弟が鹿児島実に在学した計8年間(長男と次男は1年重複)で7度も全国高校選手権に出場し、全盛期の同校の歴史を支えた。全国に行けなかったのは彰弘さんの2年時だけだ。

MFだった拓哉さんは、2年時に同学年のFW前園真聖らと全国準優勝を遂げた。卒業後は鹿屋体大に進学。Jリーグには進まなかった。

同じくMFの彰弘さんは、同学年のFW城彰二と3年時に全国ベスト4まで進んだ。卒業後は横浜マリノスに入団し、96年アトランタ五輪では右ウイングで「マイアミの奇跡」を演じた。遠藤と同じく寡黙で、最後まで走りきるプレースタイルだ。引退後の現在はサッカースクール「遠藤塾」(鹿児島、大阪、金沢の3校)を手がける。

三男の遠藤は、1年時に全国高校選手権で静岡学園と両校優勝を、2年時はベスト8、3年時は2回戦敗退という結果を残した。W杯は06年ドイツ、10年南アフリカ、14年ブラジルの3大会連続出場。国際Aマッチ出場数も歴代1位の152試合に出場している。

3兄弟の絆は深い。遠藤が高3の進級前、ブラジル・サンパウロ州のクラブへ約1カ月、サッカー留学した。当時既にJリーグ横浜入りしていた彰弘さんが、遠藤の留学費用を用意したという。遠藤にとってはハングリー精神を築いた貴重な留学だった。【横田和幸】