J1ベガルタ仙台は19日、宮城・名取市の閖上地区を訪れ、東日本大震災の犠牲者を慰霊した。

東日本大震災慰霊碑の前で献花、名取市震災復興伝承館を見学し、10年前の出来事を思い返した。仙台は11年に4位、翌12年に2位と躍進。当時の指揮官で今季から再びチームを率いる手倉森誠監督(53)は「8季ぶりに仙台に帰ってきて、クラブとしての被災地訪問は久しぶりで、もう1回あのときの気持ち、やらなければいけないと奮い立った気持ちを思い出した」と語った。

3月11日には震災から10年の節目を迎える。指揮官はこの日、11年4月23日の震災後初戦、アウェーで川崎フロンターレを破った試合から12年の優勝争いまでをまとめた映像を選手たちに見せたといい「あのときが一番いい成績を残し、一番人を引きつけ、一番希望の光になりえたと歴史の中に刻まれている以上、我々はこれまで最高だったときを越さなければいけない」と伝えたことを明かした。

手倉森監督は「歴史を知るべきで、当時の甚大な被害があった中で、ベガルタ仙台の役割があると知れば、あのときを経験していない今の選手たちも、どういう力を注がないといけないかを理解でき、またあのときの力強さを取り戻せるクラブになるはずだと考えている」。当時の躍進を知り、現在も同じユニホームを着る選手はMF関口訓充(35)とMF富田晋伍(34)の2人のみ。後世に思いをつないでいく。

関口は11年30試合、12年28試合に出場し、10年前と変わらず今も主力を担う。「2位、4位になったシーズンは正直試合をしてて負ける気がしなかった。チームとサポーターが一体になって戦う姿を覚えています」と振り返る。昨季はコロナ特例で降格は免れたが、本来なら自動降格の17位に沈んだ。「まずは残留。4チーム降格で厳しい戦いだと思うが、最低そこはしないといけないラインになる。その中でも個人としてはタイトル。残留とタイトルは真逆だけど、そこを常に目指して戦いたい」とクラブ史を知る男は力強く意気込んだ。【山田愛斗】