プレーバック日刊スポーツ! 過去の12月19日付紙面を振り返ります。2011年の2、3面(東京版)は、欧州王者バルセロナが世界一に輝き、FWメッシが史上初となる2度目のMVPに選ばれました。

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<クラブW杯:バルセロナ4-0サントス>◇決勝◇2011年12月18日◇横浜

 欧州王者バルセロナ(スペイン)が圧倒的な強さで、南米王者サントス(ブラジル)を破り、2度目の優勝を飾った。前半17分にアルゼンチン代表FWメッシ(24)のゴールで先制すると、前半だけで3得点。後半にもメッシが1点を追加して、4-0で勝利した。苦しんだ末に延長で勝ち取った2季前の初優勝から、チーム力は格段にアップ。メッシはトヨタ杯を含めても史上初となる2度目のMVPに輝いた。

 バルセロナは、あまりに強すぎた。前半17分。MFシャビのスルーパスに飛び出したメッシがループシュートで先制ゴール。同24分にシャビ、同45分にはMFセスクが得点し、前半だけで3-0とリードすると、約6万8000人のファンからは歓声ともため息ともとれる声が上がった。

 この大舞台でも、90分間いつものバルサだった。徹底してパスを回して71%に上ったボール保持率も、普段のスペインリーグと同じ。後半37分には左サイドに流れたアウベスからのパスを受けたメッシが、GKをかわしてダメ押し4点目。自身2度目の大会MVPで「世界一になれてとてもうれしい」と喜んだメッシの活躍にも、だれも驚かなかった。

 それでも選手たちにとっては特別な勝利だ。09年大会では、延長戦の末に2-1でエストゥディアンテス(アルゼンチン)を下し初優勝を飾った。グアルディオラ監督は常々「あの時より、良い試合をして勝ちたい」と口にしてきた。それが常勝軍団のモチベーションとなった。

 惰性で過ごしていても、ある程度の結果はついてくる。だが指揮官はメッシらに対しても、常に進化を求めた。今季は従来の4バックだけではなく、DFの数を減らし、より攻撃的な3-4-3の戦術を併用。この日も3バックで戦い、3トップの右FWに入ったのは右サイドバックのアウベス。同DFが得点の起点となり続けた。

 実はサッカーの王様ペレ氏が、ブラジル地元メディアとのインタビューの中で、バルサを“挑発”していた。「彼らはサントスと同じだけのタイトルを取っていない」。クラブW杯の前身インターコンチネンタル杯で62、63年と連覇しているサントスの方が輝かしい歴史を有していると力説。だがバルサはこの日の優勝で、王様をも黙らせることに成功した。

 試合前には前面にスペイン語、背中に日本語で「がんばれグアへ(男の子の意。FWビリャの愛称)」と書かれたTシャツを着用した。準決勝アルサド戦で左すねを骨折したビリャはすでに帰国。今季獲得したチリ代表FWサンチェスも左太もも痛で欠場。そんな状況でも戦力は落ちず、クラブ伝統のパスサッカーは生き続ける。メッシは試合後「ボールをキープして、ゲームを支配することができた。ライバルがどこであろうと、自分たちがバルセロナのサッカーをすることを目指している」と話した。バルサに勝てるのはどこなのか。見当もつかない。

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 ◆バルセロナ 1899年創設。本拠地はスペイン・バルセロナ。リーグ初年度の1928-29シーズンに優勝。名将クライフが率いた90-91シーズンから4連覇した。かつてマラドーナ、ロナウドら名選手が在籍した。主なタイトルはリーグ21回、国王杯25回、欧州チャンピオンズリーグ4回。愛称はユニホームの色から「ブラウグラナ(青とえんじ)」。ジョゼップ・グアルディオラ監督(40)。ホームスタジアムのカンプノウは約10万人収容。

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バルサ前回大会VTR

 ◆09年大会のバルセロナ UAEで行われ、準決勝から登場。12月16日のアトランテ(メキシコ)戦は先制されるが、ブスケツ、メッシ、ペドロの得点で逆転勝ち。3日後の決勝はエストゥディアンテス(アルゼンチン)と対戦。前半37分に先制されるが、後半44分にペドロが同点弾を挙げ、延長後半5分にメッシが決勝点。クラブ史上初の世界一のタイトルを手にした。

※記録と表記は当時のもの