東日本大震災で被災した人々の今を伝える連載「忘れない3・11~あれから10年~」。第3回は、車いすバスケットボール男子日本代表主将の豊島英(32=WOWOW、宮城MAX)に迫る。当時、勤務していた東京電力福島第1原発で被災。競技継続が難しい日々を乗り越え、パラリンピック2大会に出場した。今夏は、新型コロナウイルス感染拡大で延期となり、震災10年の節目と重なった東京パラリンピック(8月24日開幕)へ。被災地代表の1人として夢舞台を目指す。

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あの日、あの爆発音を、わずか200メートルの距離で聞いた。地震発生翌日の12日午後3時36分。東電社員として福島第1原発に勤務していた豊島は、水素爆発を起こした1号機に近い免震重要棟にいた。「ドォン」という音と、体に走る衝撃に「また余震か」と思ったが、すぐ「地震とは違う変な響き方だ」と感じた。災害対応の社員も、一時避難の社員も混在していた大部屋。殺気立った様子で対応に当たる社員や、指示を出す吉田所長の姿も見えた。

骨組みだけ残し吹き飛んだ原子炉建屋。窓に鉛のボードが張られた「最前線」の免震重要棟からは直視はできなかったが「テレビは映っていたので爆発は認識できた。ただ、どれだけ(放射線が)漏れたのか情報がない。祈るしかなかったし『最悪』も覚悟した」。

総務部の会計グループで働き、地震直後は車いすを降りて同僚に背負われて逃げた。双葉町の社員寮には戻れず、免震棟へ。対応を協議する各班や同期社員を横目に「何もできない無力さを感じた」。壁際や廊下で仮眠。発生4日目の14日に防護服を着用して敷地外へ。車で避難中に3号機が爆発した。「立ち上がる煙が見えた…気がする」。自家用車で双葉町から南相馬市、三春町を経由し、いわき市内の実家に戻ったが、当時の記憶はあいまいだ。

福島県出身。生後4カ月で患った髄膜炎の後遺症で両下肢がまひした。中学2年で車いすバスケを始め、平商高を卒業後、東電に就職した。「地元の大企業ということもあり、家族も喜んでくれた」と誇らしかった。一転。3・11を境に、激しい批判にさらされる1人になった。「収束作業で体を張る同僚を思えば心苦しい。地元住民のことを考えれば社員の1人として申し訳ない。自分も責任を果たさなければ」という重圧から「バスケを続けていいのか悩んだ」日々を送る。

前を向くきっかけになったのは、サッカーなでしこジャパンDF鮫島彩。面識ある東電の先輩社員が、震災4カ月後の女子W杯で優勝した。自身は、翌12年にロンドン・パラリンピックが迫っていた。当初は「東電で働きながらロンドンに行く」道も模索した。だが、所属チーム「宮城MAX」で練習に専念するため、震災半年後に退社し、仙台に移った。結果は最年少23歳での代表入り。東電時代の同僚が壮行会を開いてくれた。

「パラリンピックに『出たい』という個人的な願望が、支えてくださった方に『恩返ししたい』と変わる大会になった」というロンドンをへて16年リオ大会では主力に。大会後は代表の主将に就き、ドイツ挑戦も経験した。両パラ大会も18年の世界選手権も9位だったが「順位は同じでも、強豪と僅差の勝負ができるようになったり内容は上向いている」と手応えがある。日本の顔として東京へ。「運命というか…。復興オリパラが史上初の延期によって震災10年に重なった。節目を前に、例年以上に被災地の情報が世間に届く中で自分たちも、いいニュースを届けられれば」と思う。

来月の最終選考をへて夢舞台へ。「震災もコロナも乗り越えての、母国での大会。これ以上に完全燃焼の条件が整うパラリンピックはない集大成」という気持ちでコートに心血を注ぐ。

五輪・パラリンピック開催へ、まだ世論は厳しい。「逆風は強い」ことも自覚しているが「選手としては素直に望みます、開催を。目標は初のメダル」と力を込める。過去最高は08年北京大会などの7位だが「一気にメダルくらいの結果を出さないと、世間に影響を与えられないし、恩返ししたことにならない。結果が最も大事」。主将として復興の意義を説くことも求められる中、あの日の後に決まった東京大会へ、感謝を原動力にする。「少しでも東北、日本の方々を笑顔にできれば」と。【木下淳】

◆豊島英(とよしま・あきら)1989年(平元)2月16日、福島県いわき市生まれ。生後4カ月で髄膜炎を発症し、両下肢機能を失う。平養護学校(現支援学校)中学2年時に講習会で競技と出合い、TEAM EARTH入り。09年に宮城MAXへ移籍し、翌年初代表に選ばれた。ポジションは司令塔のガード。日本選手権11連覇中で、うちMVP3度。東電退社後は12年から宮城県警に、15年からWOWOWに所属。16年から2季はドイツのケルン99ersでプレーした。

◆東京パラリンピックの車いすバスケ 開幕翌日の8月25日から男女予選が始まり、同31日から決勝トーナメント。決勝は女子が9月4日、男子が5日に行われる。会場は武蔵野の森総合スポーツプラザと有明アリーナ。選手は障がいの程度などで「クラス分け」され、最も重い選手の1・0点から4・5点までの8段階。コート上5人の合計が14・0点以内でなければならない。豊島は2・0点。