【江川マリア〈下〉】幼き日の幸せな1枚 真央ちゃんありがとう、私はうまくなりたい

日刊スポーツ・プレミアムでは、毎週月曜日にフィギュアスケーターのルーツや支える人の思いに迫る「氷現者」をお届けしています。

シリーズ第16弾は、江川マリア(19=明治大)の登場です。所属を千葉・船橋市のMFアカデミーに移した2022年は、東京選手権や東日本選手権で優勝するなど飛躍のシーズンとなりました。23年シーズンは、昨年22位に終わった全日本選手権での雪辱に向け、さらなる進化を目指します。

全3回の下編では、人生最大のスランプを乗り越えるまでの道のりやライバルとの刺激的な毎日、初めての全日本選手権で得たもの、そして未来へと向かう姿を描きます。(敬称略)

フィギュア

   

22年11月東日本選手権で優勝。昨シーズンは大きな飛躍の年となった。左は2位青木祐奈、右は3位佐藤伊吹

22年11月東日本選手権で優勝。昨シーズンは大きな飛躍の年となった。左は2位青木祐奈、右は3位佐藤伊吹

22年12月、全日本選手権にも初出場を果たす。結果は22位も「やってやるっていう気持ちです」

22年12月、全日本選手権にも初出場を果たす。結果は22位も「やってやるっていう気持ちです」

高3の秋に陥った人生最大のスランプ

頰には、涙が伝っていた。

2021年、高校3年生の秋。江川マリアは人生最大のスランプに陥っていた。

当たり前に跳べていたはずのジャンプが全く跳べない。あんなに大好きだったリンクに上がる度に、わけもなく涙がこぼれ落ちた。

「今までも何度も調子が悪い時は経験してきました。だけど、全く跳べないというのはこれまでにありませんでした」

原因はわからなかった。同年9月に地元福岡のアイスパレスで行われた中四国九州選手権ジュニアでは、160・60点を記録して優勝した。

その直後、急に体が動かなくなった。身長が伸びたり体重が増えたり、体に変化があったわけではなかった。

これがイップスというものなのか-。

その年の初夏。5歳から通い続けたホームリンク、パピオアイスアリーナ(現オーヴィジョンアイスアリーナ福岡)が閉鎖した。そして同1月に恩師の中庭健介コーチが、新設の千葉・MFアカデミーへ移籍していた。

「環境を言い訳にしたくない」

そう弱音を吐かずに練習に取り組んできたが、自分でも気付かぬうちに、大きな精神的負荷がかかっていたのかもしれない。

幼い頃からフィギュアスケートのモチベーションだったジャンプが、跳べない。焦燥感と自身へのいら立ちがつのった。

初めてのスランプに陥り、「落ち込んでいる時は『このまま跳べなくなって終わるのかな』と本気で思ったりしました」と、思い悩む日々を過ごした。

21年9月、中四国九州選手権ジュニアで優勝を飾るも、この直後からスランプに陥った

21年9月、中四国九州選手権ジュニアで優勝を飾るも、この直後からスランプに陥った

サポート続けた両親、電話くれた中庭コーチ

それでも、決して競技を諦めようと思うことはなかった。

その背景には、幼少期から支えてくれた両親への感謝と恩返しの思いが大きかった。

「小さい時から両親が本当に協力的でいてくれた。お父さんもお母さんも送り迎えしてくれたりしたので、それにはもう頭が上がらないんです」

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スポーツ

勝部晃多Kota Katsube

Shimane

島根県松江市出身。小学生時代はレスリングで県大会連覇、ミニバスで全国大会出場も、中学以降は文化系のバンドマンに。
2021年入社。スポーツ部バトル担当で、新日本プロレスやRIZINなどを取材。
ツイッターは@kotakatsube。大好きな動物や温泉についても発信中。