岸和田に武田あり! 武田豊樹(41=茨城)が通算6度目のG1制覇を果たした。09年の日本選手権(G1)、昨年のKEIRINグランプリ(GP)に続き、岸和田で3たび頂点に立った。番手まくりを放った稲垣裕之が2着、佐藤慎太郎が3着に入った。

 岸和田に勝利の女神がいるとしたら、武田ほど愛された選手はいないだろう。09年の日本選手権でG1ウイナーとして歩みを始め、GP制覇で輪界の頂点に立ったこの舞台でつかんだ6つ目のG1タイトル。「ここの地区のラインは日本一強い。何とかそこを崩したいと思った。敵地で結果を残せてよかった」。相性の良さではない。「打倒近畿」のモチベーションが女神を振り向かせている。

 近畿勢の鋼の絆を打ち破ったのは、平原康多との「あうんの呼吸」だった。最終ホームを合図に平原が近畿勢に襲い掛かる。稲垣が番手から出た瞬間、平原はその後ろの村上義弘をたたき込んだ。「自分が無理だと思った時点で、武田さんのコースだけは(作ろう)と思った」。平原の思いは、確かに武田に伝わっていた。「平原君がヨコに踏んでくれたから。ギリギリまで判断しようと思っていたけど、ちょっと駄目かなと見極めて、外を踏みました」。武田が稲垣の後ろにスイッチした時点で勝負は決した。

 GP制覇から6カ月を「苦しい半年だった」と本音を口にした。1月からのギア規制に苦慮し、覚えていないほどのフレームを製作。宇都宮G3直前には初めてぜんそくにも苦しんだ。直前には地元G3で無念の失格。「ここに来る前におはらいしてきた」と神頼みもした。強さの影に、王者だけの苦しみがあった。

 これで、史上2人目となるGP連覇への挑戦権も得た。「今年は後輩たちの頑張りもあって、責任ある位置を走っているから気が締まっている。まだ残りもあるので何とか踏ん張りたい」。武田伝説の新たな1ページが、ここ岸和田で記された。【山本幸史】

 ◆武田豊樹(たけだ・とよき)1974年(昭49)1月9日、北海道斜里町生まれ。釧路緑ヶ岡高(現武修館)卒。02年ソルトレークシティー五輪スピードスケート500メートルで8位入賞。競輪に転向して88期生として03年7月立川でデビュー。09年岸和田の日本選手権でG1初優勝。通算900戦363勝。総取得賞金は12億1553万6621円(21日現在)。家族は夫人と2女。177センチ、90キロ。血液型O。