「現場発」、このコラムの名前の通り、現場からお届けします。

 今回はフランスのリールからボンジュール。日本代表とハリルホジッチ監督を追い掛け、同監督の自宅がある美しい街にやって来ました。

 パリのシャルルドゴール空港から、フランスの新幹線にあたるTGVに揺られ約1時間。TGVが滑り込む近代的な駅前には大きなショッピングモール。広場にはひと目で、それと分かる草間彌生の作品がありました。

 子どもたちがまるで遊具のように遊んでいるのには驚きましたが、日本との縁を感じずにはいられません。知らなかったハリルホジッチ監督にも、しっかりアピールしておきました。

 向かいの芝生にはミッテラン元大統領の銅像。遠くから見ると、貫禄十分のハリルホジッチ監督に見えなくもありません。「似てますよね?」の質問に指揮官は「ノン」とひと言。

 この人は、いつどんな時も違うと思ったことは違うと言い切るのです。それが、サッカーであろうとなかろうと。そこに日本人特有の愛想笑いや、空気を読んだ適当な相づちはありません。どこまでも真っすぐな人なのです。

 ちなみに、すれ違う人の10人に1人はハリルジャパンのフランス人、ボヌベー・コーチに見えるのは、私だけのようです。

 この街のクラブ、リールを率い1部昇格、欧州CLも戦った名将ハリルホジッチは20年近くたった今も英雄視されています。自宅のあるこの街で出歩けば今でも「ありがとう」と声を掛けられると言います。

 取材中もひっきりなしに地元の記者や、街の名士が訪ねて来ました。中には、フランス共和国の元大臣も。この大物も「彼は素晴らしい監督だ」と我々に念押しします。

 日本代表を率いるハリルホジッチという人物はチャンスを与える人です。

 昔話を1つ。かつてコートジボワール代表を率いていた監督の初陣が日本でのキリン杯でした。日本戦は就任2戦目で、愛知・豊田スタジアム開催。長友佑都選手の代表デビュー戦だったことも、懐かしい思い出です。

 コートジボワールやアルジェリアといったアフリカの国を率いた際、厳格な指揮官は選手のルーズな姿勢に怒り狂っていたといいます。日本では、シャイな若手の姿勢に怒っていますが…。

 新生コートジボワールは、愛知での初陣に向け21人を招集しました。集合場所のパリにやって来たのは十数人だけ。うちけが人が2人いたそうです。

 超大物はパスポートを忘れたから行けないと言い張ります。信じられない理由でのらりくらりと結局、招集拒否。あげく移動のバスに乗り込んだら連盟幹部の副団長まで遅刻で不在という始末。あきれた指揮官は、副団長を待たずバスを出したといいます。

 日本に着いたものの、選手はけが人含むたったの16人。これ以上けが人が増えると試合はできません。仕事人の詳しい関係者から「日本にコートジボワールの選手がいる」と耳打ちされます。国内リーグの得点王に輝いた逸材だと聞き、迷うことなく追加招集。それが柏レイソルや徳島ヴォルティスでプレーしたFWセイドゥ・ドゥンビア選手。CSKAモスクワで本田圭佑選手の同僚だった快足FWです。

 母国のスターに会いたいと宿舎を訪ねることが目的だったドゥンビア選手は、あれよあれよと日本戦でデビューし、その後はW杯にも出場。欧州でも名を挙げ、一流選手になりました。そういえばモスクワで会うと、いつも日本語で「ラーメン、ラーメン」と言っていました。よほど思い出の地、日本が好きだったようです。

 それもこれも、きっかけはハリルホジッチ監督の抜てきでした。

 これは今も同じです。ハリルジャパンでも井手口陽介選手が抜てきにこたえポジションをつかもうとしています。原口元気選手も久保裕也選手もしかりです。

 ブラジルとベルギー相手に、今回チャンスをもらったのは森岡亮太選手と長沢和輝選手。ドゥンビア選手のような出世物語が、日本を強くするはずです。

 この時期には珍しいリールの太陽を浴びながら、ふと、そんなことを考えました。


 ◆八反誠(はったん・まこと)1975年(昭50)岐阜県生まれ。98年入社。06年からサッカー担当に。途中、プロ野球中日担当も兼務。14年1月から東京勤務。日本サッカー協会やJリーグなどを担当している。

CSKAモスクワ時代のセイドゥ・ドゥンビア(前列左から5人目)、本田圭佑(前列右)(2013年11月23日撮影)
CSKAモスクワ時代のセイドゥ・ドゥンビア(前列左から5人目)、本田圭佑(前列右)(2013年11月23日撮影)