東京オリンピック(五輪)世代のU-22日本代表が同ジャマイカ代表に9-0で大勝した。前半25分に先制すると、前半だけで5得点を挙げ、後半も攻撃の手を緩めることなく4点を追加した。

11月に同コロンビア代表に敗戦も、メンバーが大きく変わった中で反省を生かした。森保一監督(51)にとっては幼少期から過ごした長崎の地で、年内最後の一戦を大勝締め。幕を開ける五輪イヤーへ大きく弾みをつけた。

   ◇   ◇   ◇

川崎Fへの加入が内定しているMF旗手怜央(はたて・れお、22=順大)が2得点と躍動し、東京五輪代表入りへ猛アピールした。前半16分、左サイドを抜けたMF松本のクロスを右足でダイレクトで合わせ、直後の19分にはMF東のクロスに左足を振り抜きゴール。「得点は前の選手からしたら証明できるもの。大観衆の前で緊張もあった中、しっかり決められたのは自信になった」と話した。

小学時代からシュート力は飛び抜けていた。父浩二氏は、PL学園で「K・Kコンビ(桑田&清原)」の1学年先輩で、84年に遊撃手として甲子園に出場。父の「アスリートはまず、食べることが必要」の教えに、幼少時代から食事を多く摂り、小6時の体重は70キロ。三重県出身だが、中学は強豪静岡学園中のセレクションを受けた。案内したサッカー部員が旗手を見て「柔道部と間違えて来ている生徒がいる」と監督に報告に走ったほどだ。

体は重いが、シュートを打たせたら強烈な弾丸シュートをネットに突き刺し続け、当時の川口修監督はシュート力を高く評価。中学は不合格も「高校でもう一度来てください」と伸びしろを期待された。旗手は「静学は蹴る止めるの技術の徹底からしてすごい。プロになるには静学」と再び高校で門をたたいた。トレーニングで体形も研ぎ澄まされ技術も磨かれていった。

来季は川崎Fに加入する。11月下旬から練習に参加し、パススピードや視野、ポジショニングなど頭の回転のテンポアップに励み、しっかり結果につなげた。2列目はMF久保、堂安らライバルがひしめく。「現状で(五輪に)出られることはない。でも、フロンターレでの練習で成長もすごいものになるのは分かっている。試合に出て結果を残せば間に合う」。急成長で五輪の道を切りひらく覚悟だ。【岩田千代巳】