元サッカー日本代表監督で、日本協会の岡田武史副会長(65)が10日、東京・大隈記念講堂で行われた早稲田スポーツ(体育会)125周年式典で講演した。
1897年(明30)に早大の前身・東京専門学校に体育部(現競技スポーツセンター)が設置されてから125年。創設者の大隈重信が「人生125歳説」を唱えたことから、同大学にとって大切な節目の日だ。
記念の年に招かれた岡田氏は、ア式蹴球部(サッカー部)OBとして「スポーツの現在と未来」と題して登壇した。まずは、ユース日本代表DFながら入学直後は同好会に入っていた有名な話からスタート。「一番は人との出会いだったように思います。仲間との、先輩後輩との出会いが大きかった」と大学生活を振り返った。
「その中で最も大きかったのが、堀江忠男先生との出会いでした」
サッカー部の部長、かつ政治経済学部の自身のゼミの教授でもあった。恩師との忘れられない話として、日本が80年モスクワ五輪(オリンピック)をボイコットした当時を挙げた。
79年、ソビエト連邦(現ロシア)のアフガニスタン侵攻に抗議した西側諸国に追随して日本が不参加を表明。この日の式典に同席していたマラソンの瀬古利彦氏や、柔道の山下泰裕氏ら親交の深い選手が涙した。
岡田氏は尋ねた。
「ボイコットなんて…先生、おかしいじゃないですか」
堀江氏は答えた。
「お前はスポーツマンか? スポーツマシンか? どっちだ?」
「スポーツマンだと思っています」
「スポーツをやる前にマンなんだな? 人間なんだな? それならソ連のアフガン侵攻をどう思っているんだ? 考えてから発言しろ! そう言われました」
スポーツをする前に、人間-。「そのことを先生から教わりました」。安易には結びつけられないが、ロシアがウクライナに侵攻した現代にも通じる、考えさせられる体験が「早稲田でサッカーをしていたからできました。同期の瀬古や野球の岡田(彰布氏)との出会いが財産になりました」と在学生に語りかけた。
その後は現役引退を決断した理由、指導者に転じて2度のW杯に導いた代表監督時代の苦労話を披露。現在の、クラブ経営者の立場から日本サッカーを底上げするためにJ3のFC今治で取り組んでいること、主体的にプレーできる選手と自律したチームの育成を目的とした指導論「岡田メソッド」をまとめた経緯などを説明した。ピッチ外でも地域貢献を重ねてきた。
結果、よそ者として最初は相手にされなかった岡田氏たちが、歓迎された。
愛媛県東部の今治市が、雑誌選定の「住みたい田舎」ベストランキングで1位(人口5万人以上20万人未満)になったことを紹介。子育て世代、シニア世代の2冠を達成した。そこにサッカーを、クラブ運営を通して寄与できた実感、やりがいが少なからずある。
「365日、人が集まって楽しめる場所、心豊かになれる場所にしたい」。来年1月の完成を目指す新本拠「里山スタジアム」の建設費、約42億円が岡田氏の夢に期待して集まったことも報告。スポーツ、サッカーを通じた地方創生、環境教育の実例を約1時間にまとめて示し、講演の議題「スポーツの現在と未来」にしっかりとテーマを合わせていた。【木下淳】
◆式典出席者 空手部OBで体育会出身者として初の早大トップとなった田中愛治総長、自民党総裁や衆院議長を歴任した早大稲門体育会会長の河野洋平氏、同副会長でフィギュアスケート全日本選手権5連覇女王の福原美和さん、慶大の伊藤公平塾長、瀬古氏ら。福原さんの教え子で88年カルガリー五輪に戦後最年少の14歳で出場した八木沼純子さんが司会を務めた。

