「ドーハの悲劇30年~歓喜からW杯優勝へ~」と題し、日本代表森保一監督(55)の単独インタビューから当時と現在地を探る3回連載の最終回は「進化と不変で描く未来」。30年間で選手もチームも全てが進化した中、ドーハ戦士を率いたオフト監督の選手交代や戦術には、今の森保ジャパンに重なる部分もあった。
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W杯が目前に迫り、手からこぼれ落ちた93年10月28日のイラク戦。オフトジャパンのアンカーを担っていたのはMF森保だった。交代は2枚。福田正博、逃げ切りたい終盤には武田修宏のFW2人を投入したオフト監督の采配を「間違いなくいい交代だったと思う。理にかなっている」と、監督になり同じ目線にもなって共感した。「前線が重くなると、どうしても後ろに重心がかかる。前の選手がプレスをかけてくれれば全体が押し上がれるので」。
W杯カタール大会のスペイン戦にも、つながっていたのかもしれない。2-1と逆転した後、FWを入れ替えた。前田大然を下げ、浅野拓磨を投入。ゴール前にへばりつくのではなく、前線からのプレス強度を保つため。「当時は、細かくはなかった」という役割の明確化が、共通点のある采配の中で進化した部分だ。
戦術にも通ずるところがあった。「悲劇」が起こる前、イラク戦の終盤はシステムが4-2-3-1から4-1-4-1になっていた。森保監督がアンカー、それまでダブルボランチだった吉田光範が、その前の位置を取った。実は今月17日のチュニジア戦でも-。森保監督が、ほほ笑む。遠藤航と守田英正の位置関係が同様で「航が6番(守備重視のMF)の役割で、守田がボランチと言いつつ、どんどん前に出る」姿が最新の代表戦でも見られた。
この4-1-4-1システムは、次回26年W杯北中米大会でより高みを目指すため、昨冬のW杯後に導入した新たな布陣だ。30年前に指揮官が選手として経験した戦術が、くしくも30年後、ピッチで再現された。
選手の経験値は30年間で大きく上がり、強豪国にも腰を引かない集団になったことは9月のドイツ、トルコ相手の2試合連続4得点などで、W杯の後も証明し続けている。頼もしい選手たちを率いる男の胸には、W杯を初制覇した暁に起きるであろう、未来の光景が描かれている。
「野球のWBCの世界一も盛り上がりましたが、大会のたび、渋谷に自然と人が集まるスポーツはやはりサッカーだけだと思う。あれが皇居の周りや、銀座や道頓堀や京都や博多など、いろいろなところに自然と人の輪ができるといいな」
36年ぶり3度目のW杯を掲げたアルゼンチンでは、人口約300万人の首都ブエノスアイレスでの祝勝パレードに、上回る400万人が集まり、大騒ぎになった。国を挙げて代表を誇りにし、勝利に沸き、敗戦すれば泣く。成熟した文化と熱気に後押しを受けるのが世界の最上位グループだ。
「東京の人口が1300万人だとして(優勝後に)1500万人とか2000万人とか集まるくらい、W杯で勝つことを国民の皆さんと喜び合えれば、国技のようになるんだと思います」
世界の列強、そのトップ勢とはまだ距離がある。ただ、日本も「新しい景色」を見ていい領域に足を踏み入れた。道半ばだが、壮大過ぎた夢を最短で26年W杯にも現実にしてみせる。その前に、まずは日本人監督初の2大会連続W杯へ。11月16日、W杯2次予選が開幕。「ドーハの悲劇」30年の節目に先人たちへ思いをはせながら、また前例のない挑戦への旅が再開する。【岡崎悠利】(おわり)

