J3の下のカテゴリーにあたる日本フットボールリーグ(JFL)の理事会が9日に行われ、登別大谷高出身の葛野昌宏監督(40)率いる東北社会人リーグ・ラインメール青森のJFL昇格が承認された。今季就任2年目で全国地域リーグ決勝大会初進出初優勝。昇格を確実にしていた。新戦力視察中に千葉で朗報を聞き「浮かれている暇はない。次のJ3に向けて整備していきたい」と話した。

 高校卒業後、ヘディングを武器にJリーグ平塚入団。同年に天皇杯を制するなど最強時代で日本代表DF名塚善寛氏(46=現札幌コーチ)らが所属していた。翌年、MF中田英寿氏(38)が入団。Jリーグのピッチに立てず、3年で当時北信越リーグの新潟に移籍した。「周りのうまさに戸惑った」と言う。

 その後も契約解除や廃部を経験。JFL佐川印刷で社員選手としてプレーして引退、コーチに転身した。午前に練習参加し、午後は社業。練習後は仕事が山積みだった。仕事を深夜に終えた時は、自宅でシャワーを浴び、朝4時から練習場で仮眠。7時のミーティングに備えた。「さまざまな経験が今の指導に生きている」と話す。

 知人の誘いで昨年2月に青森入り。「9時から練習が始まるのに、10分前にポケットに手を突っ込んで練習場に来る選手もいた。意識改革から始めた」。毎日練習場が変わる環境の中、1年目は守備を徹底、2年目は球際や気持ちなどの「強さ」にこだわった。

 J3昇格のため、本拠地スタジアム改修などが必要だ。「結果を出し続ければ、行政が動くはず。いつかは札幌と公式戦で対戦したい」。アジアの18の国と地域でプレーするMF伊藤壇(40)らと当時道内最強の室蘭大谷高(現北海道大谷室蘭高=登別大谷高と統合)を破り全国出場を決めて20年あまり。次は道外から、北海道に挑む。【中島洋尚】

 ◆葛野昌宏(くずの・まさひろ)1975年(昭50)7月2日、札幌市生まれ。札幌三里塚小2年の時に兄の影響でサッカーを始めた。札幌羊丘中3年で全道中学優勝。登別大谷高1年で道選抜入り。高3の全国高校選手権道大会で優勝、全国大会では3回戦まで進出し、元日本代表GK川口能活らとともに、大会優秀選手に選出された。94年に平塚(現J1湘南)入団。北信越リーグ新潟(現J1新潟)、JFLジヤトコ、同佐川印刷を経て06年に引退。指導者としては07年から佐川印刷でコーチを務め、14年から東北社会人リーグ青森監督。家族は妻と長男。180センチ、84キロ。

 ◆青森のJFLからJ3への昇格 今季のJFLは16チームが参加。1回戦総当たり戦を2回行う2ステージ制で、ステージ勝者による優勝決定戦で王者が決まる。J3へは、2ステージを合計した年間通算順位4位以上の成績を挙げ、かつJ3スタジアム要件(収容人員5000人以上)、J3ライセンス基準(集客、経営状況など)の「Jリーグ百年構想クラブ」の要件を満たしたクラブが昇格可能。青森の本拠地・青森県営陸上競技場は収容約5000人でJ3開催は可能と想定されるが、来季以降の集客や経営によっては、ライセンスが承認されない可能性もある。