4大会ぶり5度目出場の東海大仰星(大阪)が、劇的勝利で3回戦進出を決めた。後半ロスタイム直前、FW見野龍太郎(3年)が右足で決勝点を挙げて1-0で鹿島学園(茨城)を下した。一方的に攻め込みながらも得点できなかったが、背番号11がMF松山の横パスを確実に仕留めた。過去ベスト8が最高のチームは今日3日、8強を懸けた3回戦で富山第一と対戦する。

 後半ロスタイムまであと十数秒だった。東海大仰星のMF松山が相手DFをかわし、抜け出た。前へ突っ込む相手GK。そのままシュートを打っても入りそうだったが、右サイドから猛突進する見野にボールを流した。

 背番号11の見野は、無人のゴールに冷静に右足で決めた。堂々の決勝点に「前で松山がしっかり粘って、自分は流し込むだけだった。あれは松山のゴールです。途中から入った選手(松山)が走ってくれると(先発は)すごく助かる。(相手に)すごく前に強い選手がいて引かずにやった。これをプラスにして勝っていきたい」と静かに喜んだ。

 3年間、公式戦での得点のない松山は途中出場だったが「今日は自分のシュートミスもあったし、見野がフリーで走ってきたから、チーム勝利を優先した」と決勝アシストの場面を振り返った。

 中務(なかつか)監督は「最後に見野のスプリントが生きた。あきらめずに走ってくれたから、得点が生まれた」。体力測定ではチーム内で2番という見野は「体力だけ自信がある。次も最後まで走り続けることを考えてやります」。大阪から夜行バスで応援に来てくれた仲間たちのためにも、最後のホイッスルが鳴るまで走り続けた。

 試合直後に泣き崩れる相手1人1人に手を貸した見野は、相手を気遣い、ピッチ上で大喜びすることはなかった。「うちの部はラグビー部と一緒にグラウンドを使っていて、普段から彼らのノーサイド精神を見ている。試合中は激しくぶつかり合っても、試合が終わったら味方も敵も同じくサッカーをやっている仲間ですから」。そのラグビー部は現在、花園で大会2連覇を目指して先に準々決勝進出を決めたばかりだ。

 MF松井主将は「後半、時間がたつにつれて意思疎通が少なくなるので、僕が(試合中に)応援席を見ろと声を出した。厳しい戦いにはなると思うが、ベスト4以上はいきたい」。過去4度の出場で最高は前回12年度のベスト8。最近ではG大阪の日本代表DF藤春らを輩出する大阪の強豪が、歴史を塗り替える。【盧載鎭】

 ◆見野龍太郎(みの・りゅうたろう)1998年(平10)8月25日、大阪・門真市生まれ。豊富な運動量が武器でパス、シュート力も魅力。阪南大高との大阪大会決勝も2得点。172センチ、63キロ、副主将。

 ◆東海大仰星 1983年(昭58)、東海大の14番目の付属高として大阪・枚方市に設立された私立共学校。同年にサッカー部も創部。現部員117人。選手権は4大会ぶり5度目の出場で、最高成績は8強(12年度)。中務雅之監督(34)。主なOBはG大阪DF藤春広輝ら。学校所在地は枚方市桜丘60の1。