J3ロアッソ熊本は15日、元日本代表で06年W杯ドイツ大会に出場したFW巻誠一郎(38)の現役引退を発表した。

今回の大きな決断にあたり、巻は日刊スポーツに心境を独占告白。熊本がJ2で戦っていた昨季途中、低迷するチーム内で自身の求心力が失われ始めたことに気付き、引退を決断したという。ジェフユナイテッド市原(現J2千葉)時代から泥臭いプレーでサポーターを魅了してきた男が本音を語った。

巻は、最後のチームにしようと覚悟を決めていた地元熊本でユニホームを脱ぐことを決めた。今オフも当初は19年シーズンに向けて練習してきたが、気持ちが保てなかった。昨夏以降、成績低迷のチーム内で選手をまとめきれなくなっていたことが、引退を決断する要因になった。

巻 やり残しや悔いは大いにある。まだ体も動くし、僕自身はまだまだプレーしたい。だが(チーム内で仲間からの)求心力がなくなったことが大きい。自分の価値がしっかり発揮できる中でプレーしたいと思っていた。そういう中でこそ、僕はチームをまとめることだったり、影響力を出してきた。

熊本は結局、9勝7分け26敗の自動降格圏の21位で05年の創設以来、初となるJ3降格となった。

巻 僕の力不足。影響力がなくなり、それができなかったら、ピッチ内外で僕がここにいる意味や価値はない。余っている情熱を次のステージに注ぎたいと思った。

引退後は新たな挑戦に燃えている。既に指導者に必要なA級ライセンスを持ち、Jリーグの監督就任が可能なS級ライセンスの取得も視野に入れる。実際、引退にあたり熊本のスタッフ入りのオファーがあったが断った。

巻 1回、クラブの側面からいろんなものを見てみたい。経験をサッカー界に還元したいので、勉強してどこかのタイミングで監督をやりたい。日本代表監督も目指すところ。そこに近づけるよう頑張りたい。子どもたちに夢を与えることを続けたい。

次のステージは、16年に起きた熊本地震の復興支援で立ち上げ、巻が代表を務めるNPO法人「ユア アクション」を通じ支援を続けることや、今年から本格始動する障がい者の就労支援会社に関わることだ。昨年は「夢のかなえ方」と題した講演やサッカー交流を熊本の複数の小中学校で実施。今年も機会があれば行う意向だ。

巻は市原(現J2千葉)時代、個性を伸ばし育てるオシム監督が「巻には巻にしかできないことがある」と評したことを伝え聞き、肝に銘じてきた。熊本地震の際もその思いで支援物資を届けて回った。引退しても信念のまま正直に生きていく。

◆巻誠一郎(まき・せいいちろう)1980年(昭55)8月7日、熊本県下益城郡小川町(現宇城市)生まれ。熊本・大津高から駒大を経て03年市原(現J2千葉)に入団、06年W杯日本代表(国際Aマッチ通算38試合8得点)。ロシア、中国のクラブを経てJ2東京Vで日本復帰し、14年に当時J2の熊本に移籍。J1通算207試合53得点、J2通算231試合16得点。武器はヘディングで「利き足は頭」と言うほど。184センチ、81キロ。