ヴィッセル神戸の元日本代表DF槙野智章(35)が、今季限りで現役を引退することが24日、分かった。18年FIFAワールドカップ(W杯)ロシア大会代表だった名DFは、自称「お祭り男」として日本サッカー界を盛り上げてきたが、17年間のプロ生活に終止符を打つ。26日に神戸市内で「槙野劇場第二章 開幕宣言」と銘打ち、記者会見を開く。

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プロ17年目を終えた槙野が、35歳で現役を引退することになった。

この日放送された日本テレビ系「Going! Sports&News」に生出演した槙野は「今季をもちまして、17年プレーしてきたプロサッカー選手を引退したいと思います。今後、自分がやりたいことが明確に見つかった」などと表明した。

番組内では、今後の目標として「監督をやりたいという気持ちが強くなってきたので、こういう決断をした」と説明した。

サンフレッチェ広島の大先輩で、今回のW杯カタール大会で日本をベスト16に導いた森保一監督の存在が大きかったとし「ああいう姿を見せてくれて、日本人監督の素晴らしさ、伝え方というのを、僕ならではのやり方があるのではないかと」とコメントした。

引退の理由は、浦和レッズを退団した昨年あたりから頭によぎっていたといい、今季は神戸でプレーしながら「サポーター、ファンを喜ばせる、そして感動させられるプレーが今年1年できなくなってきた。コンディション的にも、以前の自分を取り戻すことができなかった」と説明した。

槙野は広島、ケルン(ドイツ1部)、浦和を経て、今季は神戸に移籍。182センチ、77キロと体格には恵まれなかったものの、身体能力を武器に1対1に強く、主にセンターバックとしてJ1通算415試合46得点の決定力を誇る名DFだった。

浦和退団が決まっていた昨年12月、天皇杯決勝の大分戦では得意のヘッドで劇的な決勝点を挙げ、自身の有終の美を飾った。自称「お祭り男」は「槙野劇場にしたかった」と話し、持ち前の勝負強さを発揮した。

11年、当時所属したケルンでの試合後、アンダーシャツに記した「被災者のみんなへ、ガンバレ」の文字を見せ、東日本大震災の被災者を勇気づけた。21年、村上伸次審判員の勇退試合では、同じくシャツに「最高のレフェリングをありがとう」と書き、別れを惜しんだ。人情に厚く、常に自らの思いをストレートに表現できる性格だった。

07年のU-20W杯では槙野を中心に、多彩なゴールパフォーマンスを考案。「調子乗り世代」として世間の関心を集めた。ピッチ内外で日本サッカー界を盛り上げようと努力してきた。

06年、広島の入団会見では、将来は芸能人と結婚したいと語り、実際に女優高梨臨と18年にゴールイン。日本代表で38試合4得点の実績を残した男は、公私とも有言実行を貫いた。

今季の神戸では16試合1得点と活躍の機会は減ったものの、まだ現役を続けられる力はあった。それでも悔いはない。今回のW杯で解説を務め、本田圭佑との掛け合いは絶妙だった。今後は監督を目指しながら、メディアにも活躍の場を広げていく。

◆槙野智章(まきの・ともあき)1987年(昭62)5月11日、広島市生まれ。広島の下部組織から06年にトップ昇格。ケルンを経て12年に移籍した浦和ではACL優勝など10年にわたって貢献。22年神戸移籍。Jリーグでベストイレブン3度受賞。日本代表は10年にデビューし、17年ブラジルとの親善試合でDFとして日本初の得点者になった。18年W杯ロシア大会ではベスト16進出に貢献。182センチ、77キロ。